こだわりアカデミー
化石は『出たとこ勝負』。 各地の面白い化石を見つけ出し 古植物の情報をたくさん引き出したいですね。
恐竜時代の植物−化石でたどる植物進化
中央大学理工学部教授
西田 治文 氏
にしだ はるふみ
1954年千葉県生れ。79年千葉大学大学院修了後、83年京都大学で理学博士。84年より国際武道大学体育学部助手、92年同大学助教授に。95年から97年まで東京大学大学院助教授を併任後、97年中央大学理工学部教授に。90年には「北海道の後期白亜紀植物化石の形態と類縁に関する研究」で、日本植物学会奨励賞受賞。著書に『植物のたどってきた道』(98年、日本放送出版協会)、共著に『植物の多様性と系統』(97年、裳華房)、『温暖に追われる生き物たち』(97年、築地書館)などがある。
1999年2月号掲載
光合成のために植物は陸に上がった
──先生は、化石から何億年も前の植物について研究する「古植物学」をご専門とされています。今日は植物の進化の歴史を中心に、お話を伺いたいと思います。
昔、植物は皆水中で生活していたようですが、いつから陸上で生活をするようになったんでしょうか。
西田 だいたい4億7000万年前から4億5000万年前の間に、陸に上がったといわれています。この年代の植物の化石を見ると、水中にいた藻類の時とはつくりも変ってきています。
陸の植物は乾燥から身を守らないといけないので、それを防ぐため表面に『クチクラ』という空気や水を通さない特別な層ができました。そうすると今度は空気などが通らず光合成ができなくなるため、ガス交換をする気孔という穴をつくったんです。
──水中だと体を支える必要もなく住みやすいと思うんですが、なぜ植物はわざわざ陸に上がってきたんですか。
西田 光合成をするため、光のよく入る浅瀬にいた藻類などは、何かの拍子で空気中に体の一部が出て乾いたり、また水に潜ったりしていました。光合成をするには二酸化炭素が必要です。光合成に使える二酸化炭素の量は、水中よりも空気中の方が多いため、徐々に効率のいい陸へ進出していったと考えられています。
──その頃の植物は、私たちが現在見ている植物とはだいぶ違っていたんでしょうね。
西田 今の植物体は、基本的に根、葉、茎の3つに分けられます。しかし、地上に進出した当時の植物は、そういう分化が全くなく、テロームと呼ばれる軸だけでした。『茎』というのは葉をつける構造を持ったものを指すわけで、そういう意味で茎とは違ったんです。
それからさまざまな進化を経て、森林というものができたのが、3億7000万年前くらいです。その頃の植物は、面白いことに種子ではなく胞子で繁殖していました。シダ植物のように、胞子をつくって飛ばしていたんです。
──今と比べると、面白い森だったんでしょうね。
天下を取った裸子植物も今ではわずか4群に
──その頃の森には、多くの動物がいたんですか。
西田 あまりいませんでした。ただ、落ち葉や胞子などを食べるダニなどの昆虫はいました。また、そういう昆虫を食べに脊椎動物が陸に上がってきたようです。いわゆる両生類です。
──脊椎動物は、植物を求めて陸上へきたのかと思っていました。では、直接植物を食べるようになったのはいつ頃ですか。
西田 約2億9000万年前のペルム紀からと考えられています。しかし、現在のイモリやカエルを見て分かるように、結局両生類は植物を食べることができず、それから進化した恐竜類などの爬虫類が食べるようになったんです。ただ、それでも植物を消化するのは非常に大変だったようです。歯が棒状になっていて、すりつぶすことができず、ガバッと枝ごと丸飲みして胃で消化していた。それも、胃の力はたいしたことはないので、臼代りに一緒に石を飲み込んで細かくしていたんです。
──当時、脊椎動物が植物を食べるには、工夫が必要だったんですね。
チリ、ロンキマイ峠に自生するナンヨウスギ。恐竜が生きていたころからあるといわれ、『生きている化石』とも呼ばれている。 |
西田 そうですね。
食べられる側の植物も、例えば葉を硬くしたり、樹脂を多くしたりと、防御体制を整えてきたんです。
それ以外にも大きな変化がありました。それまで胞子で増えていたものが、繁殖をより確実にするため、乾燥に強く休眠機能を持つ種をつくる植物へと進化したということです。いわゆる今の裸子植物の仲間で、一時は裸子植物が天下を取っていました。しかしその後、花を咲かせる被子植物へ進化し、裸子植物は衰退して、今ではイチョウ、ソテツ、針葉樹、グネツムという4つの群しか残っていません。
『当れば面白い』賭博性が化石探しのロマン
──古植物学は、すべて化石をもとに推理と物的証拠で確立していく、いわば化石ありきの学問ですね。
しかし、化石は掘ればすぐ出てくるものでもないですから、相当大変な作業でしょう。
西田 確かに大変です。まず化石を探すには、地質調査が頼りなんです。地質調査というのは、資源探査のために世界中の地質調査をする1つのビジネスでもあります。化石は、資源を探す重要な手掛かりですので、どこで何が出たかなど、きちんと記録してあります。そういうところから情報が入ってきて、現地に駆けつけるんです。
余談ですが、実はこの前、オーストラリアで2億5000万年前の植物の化石が出たというので、文部省から科学研究費をもらって調査に行ったんです。が、なかなか見つからない。地元の地質学者と一緒に行ったんですが、道が変ったとか、景色が違うとかいうんです。それもそのはずで、発見してから20年も経っているというのですから(笑)。結局、滞在期限の切れる直前にやっと見つかり、一時帰国した後、再調査に行ったということがありました。
──オーストラリアに限らず、化石の産地みたいなものはあるんですか。
西田 素材によって違いますが、日本では北海道が有名で、私もよく北海道のものを研究しています。そこでは、地元のアマチュア化石採集家の方が協力してくれます。北海道はアンモナイトがよく取れるので、皆さんはそれが目的なんですが、奇特な方がついでに植物の化石も採集して保管していてくれます。普通、植物は捨てられてしまうんですが、私は行った時、それを拾ってくるんです(笑)。
──貴重なものが見つかった時は、喜びもひとしおでしょうね。
西田 そうですね。博打と似たようなところがあり、当れば面白いという賭博性が化石探しのロマンなんです。
北海道で見つかった1億4千万年くらい前の化石、通称『ナス』の横断面。裸子植物の種子ということまで分っているが、どんな植物のものなのか明らかになっていない(上) |
これからも夢を与え、人間の知識欲に応える研究を
──ところで、これからのご研究のテーマなどお聞かせください。
西田 化石は出たとこ勝負なところがありますから、1つのテーマを立て、それに関する化石を掘り当てるのは難しいことです。ですから、北海道をはじめ各地から面白い化石を見つけ出し、植物学的にどこまで生きた状態を再現できるか、また、形だけでなく、動物や気候との関係はどうか、などの情報をたくさん引き出したいですね。
──それらの関係を考えると、地球全体の進化史は植物抜きでは考えられませんね。しかし、古代生物というと恐竜ばかり取り上げられ、植物は隅っこに追いやられているような気がするんですが。
西田 確かに、研究者は多いとはいえません。やはり恐竜などは動くものだし、視覚的にも楽しさを与えてくれます。そして人間と同じ脊椎動物ですから身近に感じ、注目されるんでしょうね。かくいう私も、子供の頃は恐竜に興味を持っていましたから。
──しかし日本では、昔から薬として植物を利用していたこともあるわけで、植物の研究はもっと注目されてもいいと思うんですが。
西田 この研究は植物を薬と捉える学問と違って、半分道楽のようなものです。なぜなら、世間に役に立つか立たないかという判断からすると、あまり役に立たないのです。しかし私の研究は、われわれ人間に夢を与えたり、知的欲求に応えるという点で、重要なことだと思っています。
半面、時には不必要な研究と捉える人もいます。それをやるには、ある程度、国も豊かでなければいけません。そういう意味から、この研究には「やらせてもらっている」という意識を持っています。
──知識欲を持っているというのは、人間が他の生き物と根本的に違うところですから、そういう人の知識の欲求に応える仕事ができるのは、本当にうらやましい限りです。ますますこれからも、新しい事実を発見してください。
本日はありがとうございました。
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