こだわりアカデミー
コオロギにも気分が? 行動をコントロールするホルモンは人間と一緒なんです。
コオロギで探る人間の心
金沢工業大学教授
長尾 隆司 氏
ながお たかし

ながお たかし 1951年、香川県生れ。75年、大阪大学基礎工学部生物工学科卒業。77年北海道大学理学部動物学教室教務職員、81年同大実験生物センター助手、助教授、94年金沢工業大学人間情報システム研究所助教授兼科学技術振興事業団の独創的個人研究育成事業「さきがけ研究21」研究員を経て、2000年より現職。共著に『昆虫の脳を探る』(共立出版)、『環境昆虫学』(東京大学出版会)、『バイオミメティックスハンドブック』(エヌティーエス)など。
2004年10月号掲載
コオロギと付き合って25年。生物はもともとは嫌いでした
──先生はコオロギを25年にわたり飼育され、ご研究されていると伺っております。本日はいろいろとお話を伺いたいと思いますが、そもそもなぜコオロギを研究されるようになったのですか?
長尾 コオロギの研究をしているというと、よく「昆虫少年だったのですか?」と聞かれますが、実は生物には興味がなかった、というより嫌いだったんです。
大学では工学部に在籍し、電子回路やコンピュータを専門に勉強していました。大学を卒業したものの、当時は第2次オイルショック。就職がなかなか決まらずにいたところ、大学の先輩から就職の話があったんです。条件は3つ、『コンピュータ、電子回路、生物が好きなこと』でした。
コンピュータや電子回路は何とかなると思いましたが、生物は…。結局、先輩がうまく話をつけてくれまして、運良く採用されたんです。動物生理学の研究室でした。
──そこでコオロギに出会ったんですね?
長尾 はい。当初は実験システムを自動化させることが主な仕事でした。それが一段落すると、せっかく動物生理学の研究室にいるんだから、重心を動物の研究の方にシフトしようということになり、コオロギ、ゴキブリ、ショウジョウバエ、アメリカザリガニの中からどれかを選ぶことになったんです。他の動物に比べて、性行動や闘争行動が派手で分りやすいコオロギを選択したのが、コオロギとのなれそめでした。
脳の神経の数はわずか10万。それでいて複雑な行動をする
──具体的にはコオロギで何の研究を始められたんですか?
長尾 動物生理学というのは、動物の感覚や行動がどのような構造と仕組みによって生み出されているかを明らかにする学問です。例えば、ものが見えるとか、歩いたり走ったりといった行動が、筋肉や神経そしてホルモンなどの基本要素によってどのように構成されているかを知るということです。
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長尾隆司氏が開発したホルモン検出・分析機械 |
私達の脳はおよそ1000億個の神経からできているのに対して、コオロギの場合は10万個程度です。神経の情報処理の仕方は、基本的には人間もコオロギも同じで、興奮するかしないか、つまりON│OFFのデジタル信号として処理されています。
当時は、コンピュータよりも構造がシンプルなコオロギの行動の仕組みなど大したことはないと思っていました。ところが、実際にコオロギと付き合ってみると、それがどんなに大変なことかということが分ってきました。
──何が大変なのでしょうか。
長尾 例えば、一匹のコオロギに印を付けて行動の変化をじっくり追跡してみると、彼らが決まり切った行動のプログラムを実行する単純なロボットではないことが分ります。たとえ刺激が同じであっても、反応が一定ではなく絶えず変化するのです。脳の造りは単純でも、コオロギはケンカや性行動などの複雑な行動をそのときの状況に応じて巧みに調節したり切り換えたりしているのです。
どうやって単純な神経で複雑な行動を実現しているのか。私達の気分と同じようなものがコオロギにもあるように見えるので、気分に深く関わっているホルモンに注目することになったのです。そこで脳の中を調べてみようと考えたのです。
コオロギも人間と共通のホルモンを使って行動を調節する
──あの小さなコオロギの脳を調べたのですか?
長尾 その通りです。そのために、まずは1000億分の1グラム程度の極微量な神経ホルモンでも分析できる装置の開発が必要になりました。しかしそのお陰で、コオロギも人間と同じようにドーパミンやセロトニンといった神経ホルモンを脳内に持っており、行動の調節に使っていることが分ったのです。
──コオロギも人間と同様にホルモンで行動を左右しているのですか!−
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コオロギの交尾の様子。上が雌で下が雄。雄は玉上の精子包を上の雌に渡すその後、20−30分かけて精子が雌の体内に取り込まれるが、その間、雌は他の雄が近づくと、受取した精子包を食しようとする。そのためか、交尾後に雄の攻撃性はピークになり、他の雄を近付けない(写真提供:長尾隆司氏) |
長尾 そうなんです。求愛を始めたコオロギと交尾を終えたコオロギの脳を調べたところ、セロトニンが性行動を調節していることが分りました。このセロトニンは、人間を含めた哺乳動物の性行動を始めとする本能行動の調節に深く関わっているホルモンです。
──コオロギも人間も同じようなホルモンを使って行動を調節しているというのは意外ですね。
長尾 ええ、しかしよく考えてみると、コオロギも私達と同じように、生き延びて子孫を残すために必要な本能行動をしています。したがって、そのために必要な神経や筋肉、そしてホルモンなどを同じように使っていても不思議ではありません。
気性は遺伝か環境か?実験室で誕生した狂暴なコオロギ
──さらに、先生は育った環境によってコオロギの性格が変化するといったご研究もされているそうですが?
長尾 ええ。コオロギにも、私達同様、気性の荒いものもいればおとなしいものもいます。そのような攻撃性は、何で決まっているのかについて調べました。
コオロギを集団と隔離に分けて育て、雄同士を出会わせてみました。集団の雄同士は短時間で終わる穏やかな闘争が多いのに対し、隔離コオロギは激しい攻撃性を長く続けることが分りました。
中でも、卵から透明な飼育ケースで隔離し続けたコオロギは、他のコオロギでは見られない異常な狂暴性を示したのです。
──“狂暴な”コオロギ…ですか?
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コオロギの雄同士は出会うと闘争行為を行なう。通常はどちらか一方が逃げたりすると勝敗がついたものとして止むが、隔離飼育されたコオロギは相手を殺すまで攻撃を続けることが多い。一方、集団飼育されたコオロギはあたかも協調性を身に付けたかのように、闘争行為すら避ける場合も(写真提供:長尾隆司氏) |
長尾 はい。コオロギの闘争は雄同士で行なわれ、基本的には一方が逃げると勝敗が決まり、勝った方もそれ以上の攻撃を行なわないのですが、隔離したコオロギは相手が傷ついても攻撃を止めるどころか、死ぬまで攻撃し続けます。さらに驚いたことに、通常は手を出さない雌に対しても、雄と同様に激しく攻撃をし続けたのです。
──生物として、そういう行動は生存適応という意味で良いとはいえないですよね。リスクが高いですし…。
長尾 そうなんです。そこで、この隔離飼育したコオロギの脳内ホルモンを調べてみると、集団のコオロギとの間に明らかな違いがあったのです。隔離コオロギは、集団に比べてドーパミン、オクトパミン、セロトニンのいずれもが少ないことが分りました。生育環境によって発育や攻撃性が変化することと、脳内ホルモンが深く関わっていることが分ったのです。
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(左)研究室で集団飼育されているコオロギ。各成長段階ごとに飼育ケースが分かれている。蓋がなくても飛ばなくなった。 |
──生まれ育った環境によって、人間の性格が変ったりするのと同じですね。
長尾 その通りです。コオロギも人間同様、行動は本能プログラムが書き込まれた遺伝子と環境との相互作用によって発達するからです。
もともと生物が行動するのは、自分自身が生き延びて、子孫を残すためです。そして、それらの行動の根源となっているのは、「性」とか、怒りや恐怖といった「情動」なのです。これらの動物に共通する基本部分には、脳内ホルモンが密接に関係しているのではないかと考えています。
今後は、長期的だけでなくもっと短期的な環境の影響、例えばエサを食べたとか、交尾をしたといった直前の行動によって攻撃性がどのように変化するかについても、脳内ホルモンに注目しながら調べていきたいと考えています。
コオロギを通じて感情とホルモンの関係を明らかに
──先生のご研究は人間の情動や心の問題などの解決にも役立ちそうですね。
長尾 はい、そうなればと思っています。私はコオロギを研究していますが、本当に知りたいのは人間、とりわけ、人間の情動や理性と行動の関係についてなのです。
生きものに共通した情動の仕組みを解き明かすことによって、人工知能などにも役立てることができたらと思っています。
──本日は先生のお話を伺って、改めて生命の神秘を強く感じました。今後もご活躍を期待しております。
どうもありがとうございました。
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