こだわりアカデミー
ウニの精子を使って動物の動くメカニズムを探っています。
動くことの起源を解明する−極微のモーターダイニン−
東京大学大学院理学系研究科助教授
真行寺 千佳子 氏
しんぎょうじ ちかこ

しんぎょうじ ちかこ 1952年、東京都生れ。76年、東京大学理学部生物学科卒業、 78年、同大学大学院理学系研究科中退。79年、同大学大学院理学部助手、95年、同大 学大学院理学系研究科助教授。理学博士。専門分野は細胞生理学。特に精子のべん毛 運動の研究の成果は高く評価されている。2002年、生物のべん毛運動に関する研究で、 第22回猿橋賞を受賞。同年、べん毛・繊毛運動の制御機構に関する研究で日本動物学 会賞を受賞。
2006年7月号掲載
動く仕組みは0.2ミクロンの中に
──最近、「宇宙」や「脳」と並んで、「生命」が知的関心の的となっていますね。
先生は、生命の中でも動物が「動く」仕組みについて、ご研究されていると伺っております。
真行寺 はい、そうです。「動く」ことは、生命現象そのものであり、どんなに大きな動物でも、動く基本は、動物を形作る、小さな細胞の中にあります。私はこの「動物の動く仕組み」を細胞レベルで解き明かしたいと考えています。
──具体的にはどういったご研究を?
真行寺 「べん毛運動」です。べん毛は、筋肉と並んで生物界の中で最も重要な運動系の一つなんです。
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ウニの精子を使い、べん毛運動の解明を行なう。毎年春には、実験材料のウニの採集のため、福島県まで愛用のサーブでドライブをする <写真提供:真行寺千佳子氏> |
──べん毛運動をどのようにして調べるのですか?
真行寺 ウニの精子を使って、その運動を研究しています。
──精子の尾っぽが「べん毛」なのですね。その運動を調べるといっても、ものすごいミクロの世界ではないかと思うのですが…。
真行寺 その通りです。
べん毛は、原生動物からヒトに至るまで存在する、細い毛のような運動装置で、太さは約0・2ミクロン、長さは数十ミクロン。内部は200種以上のタンパク質からなる複雑な構造になっています。
学生時代、ネイチャー誌に論文が掲載
──1ミリの1万分の1の世界ですね。大変な作業なのでしょうが、運動の仕組みはどこまで分っているのですか?
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べん毛の横断面図。小さなタンパク質からなる管「微小管」が束ねられてできている。9本の複合微小管が、中心の2本の微小管を囲む構造となっている。「ダイニン」は、9本の微小管から腕のように突き出している。これを「9+2構造」と呼ぶ。 |
真行寺 べん毛の内部に、自ら動くことのできるタンパク質「ダイニン」というのがあります。このタンパク質が生命活動のエネルギー源である「ATP」という物質を使って「滑り」運動を行ない、べん毛全体としては屈曲を生じるというのが、べん毛運動のメカニズムなんです。
それを実験で観察・検証しています。
──それを目で追い掛けているのですか?
すごく根気のいる研究ですね。
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べん毛の内部には、力を発生させるタンパク質「ダイニン」がある。ダイニンが生命のエネルギー源である「ATP」を分解すると、微小管同士が互いに縦方向にずれて、「滑り」を起こす。この滑りによって、S字状の波を作る「屈曲形成」や、その波を後方に伝え、同時に逆方向の波を作るという周期的な「振動運動」が起こる。真行寺氏は、べん毛の一部だけにATPを与え、その部分だけで滑りが起こる結果、その両側の滑らない部分との間に屈曲が作られることを検証する実験を行なった(1977年、ネイチャー誌に発表) |
真行寺 おっしゃる通りですが、ただ見ているだけではだめです。動きを失わせずに、べん毛の構造を少し切り開いて、中の動きを見えるようにするのです。その方法を編み出すことも私にとっては、面白さであり、醍醐味でもあります。
理論を考えて、仮説を立て、それを検証する実験手法を編み出し、仮説を実証していく…、そのアプローチがとても楽しいのです。
──先生の研究結果は高く評価され、1977年、1987年、1998年には自然科学分野で権威のある「Nature(ネイチャー)」誌に論文が掲載され、2002年には、優れた女性科学者に贈られる「猿橋賞」も受賞されましたね。
真行寺 ありがとうございます。
実は、1977年のネイチャー誌に掲載されたのは、大学院生になって初めて取り組んだ研究でした。以来、べん毛運動に関するさまざまな研究を、行なってきたのです。
研究好きは父親譲り、小さい頃から学者を夢見る
──それにしても、そもそもなぜこの分野に興味を持たれたのですか?
真行寺 父親の影響が大きいですね。父は、理論物理の研究者になりたかったそうなんですが、開業医であった祖父を継ぎ、外科医の道を選びました。診療後も、夜遅くまで勉強をする父の姿を見て、小さい頃から学者になりたいと思っていたのです。
──これまで数々の研究に取り組まれてきましたが、今後の研究テーマは何でしょう?
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ウニ精子べん毛(a)と「9+2構造」(b)、および複合微小管の間に動きを起こすダイニン(c)の模式図〈資料提供:真行寺千佳子氏〉 |
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(下)真行寺氏が独自に開発した実験のイメージ図。ダイニン1個(1分子)が、微小管を滑らせるときに出す力の測定に、世界で初めて成功した(1998 年)。イラストは、真行寺氏自らが描いたもの。ダイニン分子が並んだ微小管に、ビーズをつけた微小管を作用させて、ビーズの移動距離からダイニン1分子の 出す力を求める〈資料提供:真行寺千佳子氏〉 |
真行寺 最近、屈曲を作る時にべん毛の内部でダイニンの働きがどうコントロールされているかがだいぶ分ってきました。面白いことに、環境に合せて変化することもできるのです。今後も、独創的な手法を編み出して、べん毛内部のタンパク質間の見事なコントロールがどのように行なわれるのかについて、調べていきたいと思います。
──小さな構造の中には、まだまだ巧妙な仕組みがあるのですね。
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真行寺研究室メンバーと〈資料提供:真行寺千佳子氏〉 |
真行寺 遺伝子によりコントロールされている部分の研究も大切ですが、実際に生きている物が環境の中でどう動くのかという、生命の持つ柔軟性に富んだメカニカル(機械的)なコントロールの部分を、私は研究していきたいのです。
これからも自然と対峙して、未知の世界を探っていきたいと思います。
──本日はありがとうございました。
真行寺先生は2018年3月に退職されました。
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