こだわりアカデミー
「おいしさ」と「こく」に科学的に迫る!
「うまさ」の科学
栄養化学者 京都大学農学研究科食品生物科学専攻栄養化学分野教授
伏木 亨 氏
ふしき とおる
ふしき とおる 1953年、京都府生れ。75年京都大学農学部食品工学科卒業、80年同大学院博士課程修了。同大学同学部助手、助教授を経て、94年より現職。85年から86年まで米イーストカロライナ大学医学部へ留学。89年、日本農芸化学会奨励賞受賞。現在、日本栄養・食糧学会理事、日本香辛料研究会会長、日本動植物細胞工学会評議員も務める。専門は食品・栄養化学。おいしさの脳科学、自律神経と食品・香辛料、運動と栄養など、幅広い研究を行なっている。著書に『魔法の舌』(96年、祥伝社)、『グルメの話 おいしさの科学』(2001年、恒星出版)、『ニッポン全国マヨネーズ中毒』(03年、講談社)、編著に『うまさ究める』(02年、かもがわ出版)など多数。
2003年4月号掲載
「おいしさ」を構成する4つの要素
──いうまでもなく、私達が生きるために必要なものは「衣食住」です。中でも「食」は生命維持に一番重要な要素ですが、人間は、他の動物と違って食べ物に「おいしさ」を求めます。先生は、「おいしさ」を科学的に解明するという、大変興味深いご研究をされていらっしゃるということで、本日はそのあたりのお話についていろいろと伺いたいと思っておりますが、そもそも先生のご専門は…?
伏木 栄養化学です。栄養と運動、自律神経と食品などを研究していて、その1つとして「おいしさ」の研究をしています。
──なるほど。では、早速お伺いしたいのですが、「おいしさ」とは一体何なのでしょうか? 科学的に、どういう要素から成り立っているのですか?
伏木 私は、「おいしさ」の要素としては4つあると思います。1つ目は「生理的欲求」、2つ目は「文化」、3つ目は「情報」、4つ目は「偶然のおいしさ」です。
──では、順番にお伺いします。まず、「生理的欲求」とはどういうことですか?
伏木 体が必要としている栄養を、おいしいと感じることです。例えば、のどが渇いた時の水、汗をかいた後の塩分などです。それらは、生きていくために取らなくてはいけない栄養ですから、おいしいと思うようになっているのです。
特に夏場、のどが渇いた時のビールは最高においしい。ある実験では、ビールは水よりも水分を感じさせることが分ったという。「キレ」「のどごし」「爽快感」…そしてもちろん「こく」も、欠かすことのできないビールの「おいしさ」だ <写真提供:キリンビール株式会社> |
──では、2つ目の「文化」とは?
伏木 子供の頃から食べ慣れた味を、おいしいと感じることです。同じ素材、同じ料理でも、自分が食べ慣れた味付けの方がおいしく感じます。よく「おふくろの味が一番」というでしょう? それは、その味こそがその家の文化だからです。
──外国に行くと、「どうしてこんなものがおいしいのだろう」と思う味に出会うこともありますが、あれがまさに文化の違いなんですね。
でも、どうして食べ慣れたものがおいしいのでしょうか?
伏木 食べ慣れたものは、「食べても危険ではない」という『安心マーク』が付いているからです。安全なものを食べるというのは、動物の本能です。安全なもの、期待通りの味を食べられるという安心感が、「おいしさ」になっています。
──なるほど。では、3つ目の「情報」とは?
伏木 例えば、「これは有名なシェフが作った料理です」といわれただけでおいしく感じたり、「ちょっと古くなっています」といわれただけで、おいしくなくなったりしますよね? そういう風に、私達は口に入れて味わう前から、目や耳で得た「情報」によって「おいしさ」を判断しているのです。
──情報が「先入観」になってしまうんですね。
伏木 また、料理の見た目や食器の良し悪しもそうです。新鮮なお刺身でも、紙皿にぐちゃぐちゃに盛り付けられていたら、全然おいしく感じないでしょう?
──確かに。食べる前から「おいしくないはずだ」と思い込んでしまいますね。「料理は目で味わう」といいますが、確かにその通りだと思います。
では、4つ目の「偶然のおいしさ」とは何ですか?
伏木 「妙なおいしさ」ともいえますが、香辛料がこれに当ります。例えば、うどんに七味を入れたり、スープに油をほんの少し垂らしたりすると、「おいしさ」が増すでしょう。体に直接必要の無い栄養なのに、料理に入れるとなぜかおいしく感じてしまう。これはまったく、「妙なおいしさ」です。この忘れられない味を生むエッセンスが、4番目の要素です。砂糖や油も、この仲間に入るでしょう。
──なるほど。「おいしさ」とは、「生理的欲求」や「情報」「文化」「偶然のおいしさ」などいろいろな要素があるのですね。
伏木 そうです。体に必要で、食べ慣れていて、見た目も良くて、香辛料なども効いている−−、これらのそれぞれが「おいしさ」を主張し合っています。
「こく」も「おいしさ」もバランスが命
──これまでのお話で、「おいしさ」とはどういうものか分りました。先生は、その「おいしさ」の延長にある「こく」についても、ご研究されていらっしゃいますよね。言葉で説明するのは難しいと思いますが、「こく」とは一体どういうものなのでしょうか?
伏木 実は私もそれを知りたくて、昨年「食べ物のおいしさと『こく』」というシンポジウムを開催したんです。その結果、「こく」という概念が確かにあるということや、それがほめ言葉だということ、人によって使う範囲が違うことなどが分りましたが、大体皆同じ認識を持っているということが分りました。
──といいますと?
伏木 1つは、ずばり、生きるために重要な栄養素が豊富な「こく」です。ダシや油、砂糖などに、多くの人は「こく」を感じています。それらが第1の「こく」です。
お吸い物は、第2の「こく」を感じさせる代表作 |
第2の「こく」は、それだけでは「こく」を生むことはできないけれど、第1の「こく」を連想させるもの、「こく」の面影を残しているものです。
──例えば?
伏木 日本のお吸い物です。特に名人の作るお吸い物は、シンプルながらも洗練されています。「飲み応えがある」というわけではないけれど、ダシや砂糖、醤油などの味が第1の「こく」を連想させる。栄養はそれほどないはずなのに、味に深みを感じさせる−−そういうものが第2の「こく」です。
それから最後に、食べ物から離れてイメージとして使われる「こく」があります。例えば、「『こく』のある表現」「『こく』のある人」といった使われ方が、第3の「こく」です。
──なるほど。でも、どうして私達は食べ物に「こく」を求め、「こく」があるとおいしいと思うのでしょうか?
伏木 それは、先程も申しましたが、「こく」が人間にとって重要な栄養素に関わる味だからです。人間が生きるために必要な栄養素がバランスよく入っている。だから、私達は「こく」を求める感覚を持っているのだと思います。
──なるほど。「こく」もバランス、「おいしさ」もバランスですか。
伏木 つまり、「こく」とは「おいしさ」をイメージ化、抽象化したものといえるかもしれません。
今こそ日本食の素晴らしさを見直そう
──ところで、私は戦前の生れなのですが、私が子供の頃に比べると、食生活もずいぶん変りました。「おいしさ」も、時代とともにすっかり変化したようですが…。
伏木 ご承知のように、日本は戦後急速に西欧文化を取り入れ、食文化が大きく変りました。
欧米食は肉が中心で、油を多く使っていますよね。油は、人間が生理的に欲求するものですから、脳が無限に食べたいと思ってしまう、執着の起こる味です。ハンバーガーが定着したのも、「マヨラー」と呼ばれるマヨネーズ好きな人が増えたのも、そのためです。
──つまり、高脂肪の欧米食が普及するのは、生理的に見ると当然なんですね。
伏木 そうです。本能の欲求ですね。それに対し、日本食は魚や野菜などが中心で油をあまり使いません。
──というと、欧米の方が食文化的に優れていると?
伏木 そうではありません。伝統的な日本食は栄養のバランスが取れ、低脂肪ながら満足感のある、素晴らしい文化です。
今、若い人の中でも欧米食中心の食生活を見直そうという風潮が高まっていたり、海外でも日本食の人気が高まっています。これは、日本食の素晴らしさが再認識されてきたからだと思います。
──個人的には、日本の食文化の良さをもっと多くの若者に理解してもらいたいと思っているのですが…。
伏木 私もそう思っています。日本人は油の代りにダシの旨味をうまく利用してきました。ダシの味も、食べ慣れると執着が起こる味ということが分っています。子供達にダシのおいしさを教えることで、日本の食文化や健康を守ることにつながっていくと思います。
──これからも「おいしさ」や「こく」の研究を含め、日本食文化の復興に向けて、がんばっていただきたいと思います。
本日は、どうもありがとうございました。
『ニッポン全国マヨネーズ中毒』(講談社) |
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