こだわりアカデミー
広大な経済・交流圏を持つ民族。 「夷酋列像」から、知られざるアイヌ文化が見えてくる
アイヌ肖像画の謎を解く
国立民族学博物館名誉教授
大塚 和義 氏
おおつか かずよし

1968年立教大学大学院修士課程修了。文学修士。76年国立民族学博物館助教授、92年同館教授、2005年同博物館名誉教授、大阪学院大学国際学部教授就任。著書に『アイヌ 海浜と水辺の民』(新宿書房)など多数。専門はアイヌ民族学、北方先住民文化論。1960年より北海道アイヌのフィールドワークに従事。さらに周辺の先住民文化との比較研究のため中国・ロシア・アラスカ・カナダで現地調査を続けている。
2016年5月号掲載
中国・ロシア・和人。交易で力を持っていたアイヌ
──それにしてもアイヌというと狩猟生活のイメージが強かったですが、外国との交易も…?
大塚 確かに狩猟生活のイメージが一般的ですが、江戸時代のアイヌの活動範囲は、東北地方北部から樺太・千島列島まで広範囲に住んでおり、日本が鎖国状態だった中、中国やロシア、和人を相手に手広く交易していたのです。したがって、経済的にもとても豊かでした。
──交易というと、どういったものを?
大塚 昆布や鮭、あわびなどの海産物、それにラッコや黒テンの毛皮などです。特に毛皮は当時、非常に高級品で、中国やロシアの皇帝や貴族がのどから手が出るほど欲しがったんです。その代わりにアイヌは、絹織物やガラス玉などさまざまな異国の装飾品を手に入れた。そうした品々はまた和人たちにも渡り、珍重されました。
![]() |
「夷酋列像」ションコ〈フランス ブザンソン美術考古博物館蔵〉 |
──なるほど。和人はアイヌを介してロシアや中国の品を手に入れていたのですね。
大塚 はい。そのため、絵の中で彼らが着ている絹織物は、中国から北方経由で伝わったのに、アイヌの手を介在したことを示す「蝦夷錦」と呼ばれています。また、アイヌ文様の衣服や木彫品といった民族工芸品なども和人に人気を博し、当時の歌舞伎衣装をはじめ、江戸や上方の文化にも大きな影響を与えたのです。アイヌの着物をまとった北前船の乗組員が大阪(当時は大坂)の町を得意げに闊歩するなど、民衆の間でもアイヌ文化がもてはやされていました。
![]() |
今回のテーマ「夷酋列像」に関する特別展 「夷酋列像 ―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」 を、国立民族学博物館にて開催中。 【開催期間】2016年2月25日(木)〜5月10日(火)
サイト内検索