こだわりアカデミー
伊達政宗の野望とともにイスパニアへ渡った 「慶長遣欧使節団」。 彼らの子孫が今、スペインに…。
イスパニアへ渡ったサムライたち
歴史学者(スペイン経済史) 東海大学外国語教育センター教授
太田 尚樹 氏
おおた なおき

1941年、東京生れ。東京水産大学卒業後、カリフォルニア州立大学バークレー校、マドリッド大学等に留学。東海大学外国語教育センター助教授を経て、教授に。また、青山学院大学講師も務める。著書に『スペインは太陽の香り−食風土と人々と』(92年、家の光協会)、『サフランの香る大地ラ・マンチャ』(96年、中央公論社)、『パエリャの故郷バレンシア』(96年、中央公論社)、『ヨーロッパに消えたサムライたち』(99年、角川書店)など。
2000年7月号掲載
602名の「ハポン」姓と地域に伝わる稲作技術
──先生のご著書の題名にもなっていますが、使節団の中には、日本に戻らなかったメンバーもいたようですね。
太田 そうなんです。私の調査では8名いたと思われます。
──26人中、8人もいたんですか。
太田 残留したメンバーは二つのタイプに大別されます。一つは、天真爛漫なイスパニアの現地の人々と風土に惹かれてしまい、帰りたくなくなった人達、もう一つは、すでに日本で受洗していたキリシタンで、最初から帰るつもりはなかった人達です。
──その子孫、末裔と言われる人達が現在、スペインに相当数いるそうですね。
太田 スペイン南部の町コリア・デル・リオと、その隣のラ・プエブラ・デル・リオには「ハポン」という姓を持つ人が602名います。「ハポン」とはスペイン語で「日本」を意味する言葉なんですが、彼らは皆、自分たちは日本から来た侍の子孫だと言っているんです。
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ハポン姓の人達。彼らは、使節団の末裔と信じているという |
──名前だけでは今ひとつ説得性に欠けますが、先生はさらに強力な証拠となるものを見付けられたとか…。
太田 はい。まず大変驚いたのは、稲作です。一般に、ヨーロッパの稲作は籾(もみ)を直にばらまくやり方なんですが、この地域では稲作をする際、日本と同じように苗床をつくる風習があるんです。これはスペインはおろか、ヨーロッパのどの地域でも見られない方法です。
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ハポン姓の人々が住む田舎町には、日本の田園風景を思わせる水田が広がる |
──使節団の残留者が教えたとしか思えませんね。
太田 おそらくそうでしょう。12世紀に、この土地の農学者イブン・アワムという人が書いた有名な『古農書』があるんですが、すでに稲作がオリエント世界から伝わっていた時期にも関わらず、その書にはこの辺り一帯で米が栽培されていたという記録が載っていない。おそらく17世紀に、残った「ハポン」達が何らかの形で日本式の米の栽培技術を伝え、あの地に水田を広めたのではないかと考えられます。
さらにもう一つ、地元の医者によると、ハポン姓の赤ちゃんには、蒙古斑があるというんです。
──ここまで材料がそろうと、もはや疑う余地はなさそうですね。
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『ヨーロッパに消えたサムライたち』(筑摩書房) |
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