こだわりアカデミー
世界的に有名なアンコール遺跡は 人々の強い宗教心によって生れたものです。
アンコールの巨大遺跡群を後世に残す
歴史学者 上智大学 アンコール遺跡国際調査団長
石澤 良昭 氏
いしざわ よしあき
いしざわ よしあき 1937年、北海道生れ、61年、上智大学外国語学部フランス語学科卒業、東南アジア史、特にカンボジア・アンコール時代の碑刻文学を専攻。パリ大学高等学術研究院で古クメール語碑刻文学を研究。鹿児島大学教授を経て、81年より現職に。89年、第1回ユネスコ調査団長としてアンコール遺跡の破壊状況を調査、ユネスコ、カンボジア政府、日本政府へ報告書提出。98年カンボジア国王陛下からサハメトリ章を授章。主な著書に、『東南アジアの伝統と発展』(98年、中央公論社)、『アンコールの王道を行く』(99年、淡交社)、『アンコール・ワットへの道 クメール人の築いた世界文化遺産』(2000年、JTB)、 『アンコールからのメッセージ』(02年、山川出版社)。
2004年11月号掲載
アンコール遺跡の壮大なスケール
──先生は、1980年からカンボジアにある世界遺産・アンコール遺跡群の保存・修復活動を行なっていらっしゃるそうですが、本日は、その辺りのお話をいろいろと伺いたいと思います。
実は私はこれまで、アンコール遺跡というと、石造りの大きな建物という漠然としたイメージしか持っていませんでした。
しかし実際には、寺院・祠堂(しどう)・貯水池・橋など、数多くの大遺跡があるようですね。
石澤 はい、カンボジアでは9世紀以降、約550年にわたり、26名の王達によって、いくつもの都城が造られました。
世界的に有名な「アンコール・ワット」を始め、主要な遺跡だけでも62箇所にわたって現存しています。
天空から見た「アンコールワット」全景。幅190cmの環濠が5.4kmにわたって周囲を囲う。<写真提供:石澤良昭氏> |
アンコールワット外観<写真:編集部撮影> |
──それだけ多くの遺跡建築には、大変な労力が必要だったのでしょうね。
石澤 そうですね、現在の作業人数に置き換えますと、石工、運搬、建築など、直接関わった人だけで、9千−1万5千人。総がかりで、約35年掛けて造成したことになります。
──大変な数ですね。しかし逆にいえば、当時の都市には、これだけの労力を支える経済力、すなわち食料生産があったということになる…。
石澤 その通りです。
アンコール地域には、「西バライ」という縦2km、横8kmの大きな貯水池があります。落差を利用して田んぼを作り、雨季には貯水池に水を貯め、乾季には流すという手法で、三毛作を行なっていたようです。
これによって、約40−60万人の人口を支えていたと考えられます。
──豊かな水利都市だったのですね。
石澤 東南アジアの土壌は、粘土質で、保水が良く、稲作に適しています。
人口が増えれば建築が進む、こうした好循環が多くの遺跡を生み出したようです。
──なるほど。いろいろな好条件が揃い、豊かな土壌がなした結晶が、アンコール遺跡群だったわけですね。
なぜ多くの寺院を建てたのか
──それにしても、なぜ王達は、それほど多くの建物を建てたのでしょうか?
石澤 カンボジアでは、王は完全な実力主義で、基本的に父から息子へ王権が移ることはまれです。肉親とも戦うなど、王位争奪は激しいものでした。王は神であったので、その力を誇示するため、全権を行使して、民にお寺を造らせ、権威を示したのです。
──建築の際の民への負担は大変なものだったと思いますが、王に対して反発は起きなかったのですか?
石澤 それが、まったく起きていないのです。むしろ、善行の一つとして自ら率先してお寺造りに参加したと思われます。
「アンコール・トム」都城の中心寺院「バイヨン」の四面尊顔塔の観世音菩薩像<写真提供:石澤良昭氏> 「アンコール美術の宝石箱」といわれる「バンテアイ・スレイ」にある女神「東洋のモナリザ」(石澤氏命名)<写真提供:石澤良昭氏> 「アンコールワット第一回廊」の壁面レリーフ。物語が絵巻物のように展開されている<写真提供:石澤良昭氏> |
──それは意外です。
石澤 そうですね。
実は最近までは、遺跡を造ったのは捕虜などで、王が命令し、ムチを打って働かせたと考えられていました。そして、王朝が滅亡したのも、建寺のため疲弊し、戦い敗れたため、というのが通説でした。
──普通そう考えます。大変な労力の掛かる建築に、人々はなぜ進んで協力したのでしょうか?
石澤 人間は誰でも、食事が十分に食べられて、豊かな暮らしができたら、次に何を考えると思いますか?
──…来世のことですかね?
石澤 その通りです。誰もが死後は極楽に行きたいと願う。現世で善い行ないをすれば、極楽に行けるという輪廻転生の考えで、人々はお寺の仕事に奉仕したのです。
──働くこと自体に価値がある、宗教心の強い民ならではの話ですね。ある意味、美しくもあります。
アンコールの魅力とは
──ところで、アンコール遺跡には、人々を魅了する不思議な力があると聞きますが、先生自身はどんなところに魅力を感じていらっしゃいますか?
石澤 まず膨大な遺跡の一つひとつが生き生きと彫られているところですね。
先程の話のように、篤信のある人々が率先して神々の祠(ほこら)を建築しているのであり、そこに込められた信仰心が伝わってくる。だから圧倒されるのです。
また、それ以上にすばらしいと思うのは、当時の人々の思いが、いろいろな遺跡の中に現れていて、次世代に問い掛けてくることです。
現在カンボジアは、国際化が進み、貧富の差が激しくなっています。
それでも、村人達は、みな生き生きとしているし、自分の生活に満足している。村のパゴダ(仏塔)と来世のために働く精進は代々受け継がれているのです。そうした昔からの変らない宗教心が、アンコール遺跡の魅力の根源なのではないかと思います。
──カンボジアの人達には、貧しいけれどもしっかりとした生き方が確立されている。そんな価値観の持ち方にも、今の若い人などは魅力を感じるのかもしれませんね。
今後はカンボジアでの人材育成も
──先生は、カンボジア政府と協力して、アンコール遺跡の調査や保存・修復活動を行なっていらっしゃいますが、最近、新しい発見をされたそうですね。
石澤 はい、実は2001年に「バンテアイ・クデイ寺院」で、274体の首と胴体が切断された仏像を発見しました。
これは王朝末期、ヒンズー教を信仰する王が、廃仏命令を下したことによるものです。つまり、当時もそれだけの命令をできる王が健在だった。国は繁栄しており、疲弊して滅びたのではないことを意味します。
アンコール王朝研究が始まって約140年になりますが、この発見によって、これまで不明だった末期の歴史が明らかになりました。
──それはすごい。これまでの通説をくつがえす大発見となったわけですね。さて、先生はこれから何をメインに取り組まれていくのでしょうか?
石澤 碑文の解読や発掘が中心になると思いますが、今後は、カンボジアでの人材育成にも力を入れていきたいと思います。
現地にはすでに、「上智大学アジア人材養成研究センター」を設け、将来の遺跡保存官に実際に遺跡を掘って、水洗いをし、記録を付けるという、発掘の一連の作業を教えています。
人材育成の拠点「上智大学アジア人材養成研究センター」 <写真提供:石澤良昭氏> |
──それにしても、先生はなぜカンボジアの支援活動を始められたのですか?
石澤 カンボジアでは、ポル・ポト政権時代に、遺跡の調査や保存・修復をする専門家が殺されてしまいました。その中には私の友達もたくさんいたのです。彼らのためにも、カンボジアに何か手助けしたいと思い、活動を始めました。
──そうだったのですか。遺跡の研究だけではなく、人材育成も。とても意義のあることをされていらっしゃると思います。
石澤 そんなことないですよ。ただ、現在必要なことは、専門的な知識を持った人材養成だと思ったのです。
膨大な遺跡を誰が守るのかと考えたとき、カンボジアに生れて育った彼らがやるのが一番いいんじゃないかと思いました。私達のような国際協力にできることには限界があります。
現地の人々に、遺跡の保存・修復を教授する石澤氏。カンボジアにて <写真提供:石澤良昭氏> |
アンコール遺跡は、カンボジア民族の象徴であり、その保存・修復は現地の人々で行なえるようにしていかなくてはいけない。そのために、石工さんに石材の修復方法なども教えています。彼らが一人前になるのには8−10年が掛かり、地道な活動ではありますが、続けていきたいと思います。
──ぜひ頑張ってください。これからもご活躍に期待しております。
本日はありがとうございました。
『アンコールからのメッセージ』(山川出版社) |
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