こだわりアカデミー
農業国からIT先進国へ このパワーが新しい国家像を生み出すかもしれません。
柔軟性の高いインドが21世紀の社会モデルに?
追手門学院大学 国際教養学部長
重松 伸司 氏
しげまつ しんじ

1942年、大阪府生れ。66年、京都大学文学部史学科東洋史学卒業、71年、京都大学文学研究科東洋史学修士課程修了。ケンブリッジ大学南アジア研究センター客員研究員、名古屋大学国際開発研究科教授などを経て、07年、現職に。京都大学文学博士。専門分野は南アジア史学、南アジア−東南アジア交流史。著書に『ムガル帝国誌/ヴィジャヤナガル王国誌』(84年、岩波書店)、『カーストの民、ヒンドゥーの習俗と儀礼』(88年、平凡社)、『マドラス物語、海道のインド文化誌』(93年、中央公論社)、『インドを知るための50章』(03年、編著、明石書店)など。
2007年11月号掲載
なぜ今、インドは注目されているのか?!
──今年はインド独立60周年であり、日印交流年でもあります。
本日は、長年インドについて研究されている先生に、インドの発展と、その歴史的背景について、お話を伺っていきたいと思います。
インドは今、IT企業を中心に、目覚ましい経済成長をしており、高度成長が期待される新興国グループ「BRICs(ブリックス)」(ブラジル、ロシア、インド、中国)として、世界的にも注目されていますね。
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IT産業が驚異的な成長を続けているインド都市部には、高層ビルが林立するビジネス街も〈写真提供:重松伸司氏〉 |
重松 ええ。1991年の経済自由化をきっかけに、国家主導型から民間活用型の経済へと構造転換が起こり、そこから急激な成長が始まりました。
──もともとインドという国は、農業国というイメージがありましたが、なぜITという新しい分野で、目覚ましく成長してきたのでしょうか?
重松 それは独立後、近代化を旗印に、欧米に追い付き追い越せとさまざまな国家政策が打ち出された。その一環で、工科大学を設立したことは大きな要因です。
この工科大学の卒業生は、現在、世界のエリートとして通用する程の高度な能力を持っています。
国内7校あるインド工科大学を筆頭に、理工・IT分野の卒業生は、年間数十万人にのぼりますが、英国植民地時代に定着した英語も広く普及しているため、卒業生は、英語が使えて、しかも人件費の安い優秀な技術者として、国際企業などから引く手あまたです。
──なるほど。民間主導型の経済への転換と、優秀な人材育成がなされるようになったことで、IT産業が一気に開花したということなんですね。
重松 さらに、IT産業というのは、身分上の位置と職能を規定した「カースト制度」にもあてはまらない。
──つまり、低身分の人でも、頑張れば、高所得者になれる可能性が出てきた。
重松 その通りです。近年はITブームを背景に、進学熱も高まり、みな必死に勉強します。熾烈な競争が、数多くのエリートや成功者を生み出すインドの原動力となっているのです。
──ITという新しい職種と、時代の流れがマッチして、インドの大きな発展につながったわけですね。
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『マラッカ海峡物語』(集英社新書) |
※重松伸司先生は、2013年3月に追手門学院大学 国際教養学部長を退職されました(編集部)
※2019年3月に、重松先生の新たな著書『マラッカ海峡物語』(集英社新書)が発刊されました
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