こだわりアカデミー
結晶の成長の仕組みを解明することで 医学などさまざまな分野への応用が期待できます。
結晶成長学からのアプローチで解明される不凍タンパク質
北海道大学低温科学研究所助教授
古川 義純 氏
ふるかわ よしのり

1951年、滋賀県生れ。78年北海道大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。同年北海道大学低温科学研究所助手に就任し、90年より現職。主な研究分野は氷物理、結晶成長、生物物理、マイクログラビティ。中谷宇吉郎の弟子のひとり、故・小林禎作教授とともに雪の結晶の研究を行なうなどした。現在は国際宇宙ステーションによる宇宙実験プロジェクトを推進中。共著に『雪と氷の事典』『形の科学百科事典』(ともに朝倉書店)、『雪花譜』(講談社カルチャーブックス)など多数。
2006年12月号掲載
美しい雪の結晶に魅せられ雪山に籠った学生時代
──先生は結晶をご専門に研究されていらっしゃると伺っております。
私も小学生の頃、雪の結晶の研究で有名な物理学者、中谷宇吉郎先生の著書『雪』の中の「雪は天から送られた手紙」というフレーズに、その形が千差万別であること、地上にいながら上空の気象条件を推測できることを知り、大変感動いたしました。
先生は雪の結晶の観察や実験といった研究の傍ら、撮影された雪の結晶写真で『科学朝日』の写真コンクールで受賞されたそうですね。
古川 学生の時ですから、25年くらい前のことになります。当時、中谷先生も通われた十勝岳に冬籠りをしては、雪の結晶の観察や測定を行なっていました。研究生活の始まりに、とてもきれいな雪の結晶を見ることができたのはラッキーだったと思っているんですよ。写真で見てもきれいですが、顕微鏡でみるとぞくっとする程シャープで、雪の降る中、防寒着を何重にも着て、息を殺して顕微鏡をのぞいたその美しさは格別でした。
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一つとして同じ形はない雪の結晶。結晶が成長する場所の温度と湿度により形が決まる。人間の息がかかっただけでも融けてしまうため、撮影には細心の注意が求められる。(写真提供:古川義純氏) |
──それにしても写真撮影は、立体である雪の結晶をプレパラートに挟み込むわけにもいきませんし、顕微鏡を通してですから、随分大変そうですね。
古川 そうなんです。すべての結晶が平らになっているというわけではありませんし、照明の当て方、どこにフォーカスを合せるか、背景の色をどうするかなど、いろいろと工夫が必要になります。
──私も先生のお撮りになった写真を拝見しました。大変すばらしいですね。
ところで"結晶"といっても、雪や氷以外にも、水晶やダイヤモンドなど、さまざまなものがありますよね。
古川 はい。われわれはそういった結晶がどのように成長していくかを研究しているんです。雪の結晶もそうですが、条件が違うと結晶の成長の様子が大幅に違ってきます。現在、私の研究室では、氷や雪を題材に、結晶成長の仕組みの解明に取り組んでいますが、そのスケールは分子あるいは原子レベルから、結晶体といった大きなものまで幅広く扱っているんですよ。
基本は物理ですので、結晶の成長に関する観察や実験、理論、計算機を使ったシミュレーションなどを行なっています。
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氷の結晶構造は規則正しい六角形になっているが(画像右)、画像左のように氷の表面が融解し乱れた水の分子構造(擬似液体層)になることで、スキーやスケートが滑る(画像提供:灘 浩樹氏) |
「不凍タンパク質」で氷点下でも凍らない生物
──先生が結晶に関する基礎研究をされていることは分りましたが、具体的にはどういったことに応用されるのでしょうか?
古川 そうですね。例えば北極や南極といった氷点下でも、凍らずに生存している魚や昆虫がいます。通常そのような環境下では、人間は体内の水分が結晶化して凍ってしまい、細胞が破壊されて俗にいう凍傷になりますが、その一方で凍らない生物もいる。つまり、そのような生物は耐凍戦略を持っているわけです。
──"耐凍戦略"…。生物はいかに過酷な環境でも適応しているという、一つの生存戦略例ですね。
古川 はい。主に2通りの耐凍戦略があるといわれていまして、一つは、血液中にアルコールやグリセリン、糖などを精製して、いわば血中に不純物を沢山作ることによって融点を下げる方法。これは、塩分が多く含まれている海水が凍らないのと同じ原理です。
もう一つは血中に非常に特殊なタンパク質を作ることによって、血中の水分が氷結晶に成長するのを止める方法です。血中には氷結晶ができることはできますが、非常に小さな状態のうちにタンパク質が周囲にとりついて、その成長を阻害しているようです。このタンパク質を「不凍タンパク質」と呼んでいます。
──なるほど。氷点下の海にいるタラやヒラメなどが凍らないのもその仕組みですか?
古川 その通りです。
「不凍タンパク質」の研究には、化学、生物などさまざまな分野の研究者が多く関わっていますが、結晶成長の観点から研究しているのは世界でもわれわれのグループくらいしかいません。
──どうしてタンパク質で結晶の成長が止まるのか、それは、結晶成長学からのアプローチがなければ分りませんからね。
古川 その通りです。確かにタンパク質というと、化学や生物、遠くて医学といったイメージがありますが、われわれがその議論に加われば、異なった角度からの指摘が可能になります。
癌を凍らせれば摘出手術が安全に?
──「不凍タンパク質」はどのような利用方法が考えられているのですか?
古川 現在、大変注目されている物質で、特に医学目的で有効といわれているんですよ。
──例えば?
古川 癌などの手術の際に、摘出部位を凍らせ、摘出部位の回りの正常な細胞には不凍タンパク質を注入するなどして凍らないようにする。癌の部位だけ凍らせようとしても、通常は周囲の正常な細胞まで凍ってしまい、その部分の細胞は破壊されてしまいますが、不凍タンパク質を利用し正常な部分を凍らないようにすることで、より安全な手術が可能になります。
また、化粧品として、クリームなどに不凍タンパク質を入れると、凍傷を防止する効果があるでしょう。
食品なども、凍らせておくと結晶の粒が大きくなり、味が落ちるといわれていますが、不凍タンパク質を入れることにより味が落ちないようにすることができます。
このように、いろいろな応用が考えられていますが、まあ、われわれはあくまでそういった応用ではなく、結晶の成長を解明するための基礎研究をひたすらやっているわけですが…。
国際宇宙ステーションの実験のテーマにも
──さまざまなアプローチがされているわけですが、先生のご研究は今後、宇宙でも行なわれるとか?
古川 そうなんです。分子レベルの表面構造をみることは、実は、酸性雪の生成やオゾ ン層の破壊現象、雷の発生など、多くの現象と密接に関係します。また、結晶の成長は、パソコンに使われている半導体のシリコン単結晶にも関係してきます。
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無重力実験の装置(右)と国際宇宙ステーションで使用される予定の実験装置(左)。こうした実験設備も研究者が開発する。 (写真提供:<右>MGLAB、<左>JAXA) |
そのため、環境の外的影響がない無重力で、結晶成長の本質的な現象をみることは非常に大事な研究で、2008年に「国際宇宙ステーション」が打ち上がれば、それにドッキングされる有人実験施設「きぼう」で一番最初に行なわれる実験の一つとして計画されています。
まずは打ち上げた実験装置のテストからですが、その後は不凍タンパク質の効果を調べるなど、病気の原因解明や医薬品開発にも役立てることができればと思っています。
──今後、先生の結晶成長に関するご研究がさまざまな分野の礎になって、至る所で成果が拝見できそうですね。楽しみです。
本日はどうもありがとうございました。
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