こだわりアカデミー

こだわりアカデミー

本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
MENU閉じる

疫病の流行は、自然破壊など 人間の行き過ぎた行動に対する ウィルスからの警告だと思います。

次々に誕生する新たな感染症はウィルスからの反撃?!

独立行政法人労働者健康福祉機構海外勤務健康管理センター所長代理 医師・旅行医学研究者

濱田 篤郎 氏

はまだ あつお

濱田 篤郎

はまだ あつお 1955年、東京都生れ。1981年、東京慈恵会医科大学卒業後、84年、米国に留学し、熱帯医学、旅行医学を修得する。帰国後、東京慈恵会医科大学の熱帯医学教室講師を経て、現職に。海外渡航者の診療にあたるとともに、SARSなど海外の感染症対策事業を運営している。非常勤講師として東京慈恵会医科大学、慶應義塾大学医学部などで寄生虫学や旅行医学の講座を担当。著書に『海外旅行健康必携(予防接種の項担当)』(協和企画)、『職場の感染症を防ぐ(海外赴任者の感染症対策の項担当)』(中央労働災害防止協会)、『旅と病の三千年史』(文春新書)、『疫病は警告する』(洋泉社)など多数。

2006年11月号掲載


旅や戦争と共に発展した「旅行医学」

──先生のご著書を大変楽しく拝読させていただきました。先生のご専門は「旅行医学」とのことですが、そもそも「旅行医学」とは?

濱田 現代の旅行医学は、主に海外旅行者や海外勤務者を対象とした医療です。感染症を中心とした病気の予防や、現地での健康対策などについて研究しています。

──あまり聞き慣れない分野ですが…?

濱田 日本ではあまり馴染みのない分野です。でも意外に歴史があるんですよ。

人間は古くから「旅」をしてきました。兵士として、植民者として、商人として、探検家としてなど。人は生きるため、領土拡大のため、新大陸発見のためと、さまざまな目的で集団移動をしてきたのです。そこには怪我や病気は付きもので、当然「治療」というものが必要になってきます。

──旅先では、その土地その土地の「風土病」というのもありますしね。

濱田 ええ、訪れた先で風土病にかかったり、あるいは旅先から病気を持ち帰ったり…。その意味で昔の旅行というのは、現代のような「遊び」「楽しみ」といった要素はまるでない、しかも、行く先の土地の情報もほとんど知らないわけで、「旅」それ自体が苦しみとか不安なものであったに違いないと思います。特に、戦争に駆り出された兵士というのは、過酷な条件の中で怪我や感染症に悩まされながら戦わなくてはならなかったわけですしね。

──そういえば、19世紀のナポレオン戦争やクリミア戦争などでも、戦闘による死者より病死者の数の方が上回っていたとか…?

濱田 はい、昔は誰かが戦地で感染症にかかると、瞬く間に軍全体が存亡の危機にさらされたのです。それが初めて逆転したのが「日露戦争」といわれています。といっても、日本軍の死者だけでも、戦死が5万8000人に対し、病死が2万2000人という数でしたが…。

──日露戦争の前は、感染症対策がほとんどなかったわけですね。

濱田 そうです。中世の頃から「軍医」という人はいたのですが、彼らは主に戦闘によって傷ついた兵士の治療を行なう戦傷外科が専門でした。しかし、徐々に兵士の健康管理や感染症対策の重要性が認識されるようになり、戦場、さらには植民地などで「軍陣医学」というものが発展していったのです。また、微生物の発見以後は予防対策もされるようになりました。もっとも、まだ「旅行医学」と呼べるようなものではありませんでしたが…、これが旅行医学の古典的な姿といえます。

(上左)マラリア原虫。赤血球の中に2つマラリア原虫がみられる。原虫が赤血球を破壊すると発熱が起こる。<br>(上右)ランブル鞭毛虫。腸に寄生して下痢を起こす。<br>(下)赤痢アメーバ。腸の中に寄生して、下痢や血便を起こす(写真提供:濱田篤郎氏)
(上左)マラリア原虫。赤血球の中に2つマラリア原虫がみられる。原虫が赤血球を破壊すると発熱が起こる。
(上右)ランブル鞭毛虫。腸に寄生して下痢を起こす。
(下)赤痢アメーバ。腸の中に寄生して、下痢や血便を起こす(写真提供:濱田篤郎氏)

海外旅行の日常化による感染症問題

──つまり、戦争が「旅行医学」を発展させた、そして現代の「旅行医学」が確立されたのは、つい最近ということなんですね。

濱田 はい。航空機が登場し、海外旅行が大衆化されてからです。数千km離れた場所へ数時間で移動できる現代は、昔に比べたら、瞬間移動に近い状態。体が順応せず、さまざまな健康問題も起こりやすい。そこで、旅行に伴う医学が必要になったのです。

──確かに、今や海外旅行はわれわれにとって身近なものになっています。先進諸国ばかりでなく、アジア、アフリカ、南米といった世界中のあらゆるところに旅行者が行けるようになりました。しかしその一方で、滞在中あるいは帰国後に下痢を起こした、熱を出したという話もよく聞きます。

濱田 そうなんです。マラリア、コレラ、腸チフス、赤痢などといった感染症は、第二次大戦後、先進国からは一掃されたのです。ところが、無菌国家となったことで、逆にわれわれは感染症に対する抵抗力を失ってしまった。しかも、医療技術が進んだ社会に暮らすわれわれには、「病気を予防する」という意識そのものが乏しい。そのため、途上国を訪れる旅行者は古典の時代以上に感染症にかかる危険性が増大したのです。

(上)スイス・チューリッヒにて。旅行協力関係締結敷きの様子 医学の創始者、チューリッヒ大学・ステフェン教授と。<br>(下)バンコクにて。「タイ・バンコクパタヤ病院」との協力関係亭krつ敷きの様子(写真提供:濱田篤郎氏)
(上)スイス・チューリッヒにて。旅行協力関係締結敷きの様子 医学の創始者、チューリッヒ大学・ステフェン教授と。
(下)バンコクにて。「タイ・バンコクパタヤ病院」との協力関係締結式の様子(写真提供:濱田篤郎氏)

また、最近は高齢者の海外旅行も増えてきました。旅行中は精神的に興奮状態となり、若返り効果がありますが、同時に体に無理をして、体調を崩しやすいこともあります。現代の旅行医学では、健康で安心して旅行できる環境を作ることも、大きな目標となっています。

──そういえば、私達が海外に行くときなどは、現地の気候や治安などには関心を持ちますが、感染症のことなどはあまり考えない。無防備ですね。どうすればいいのでしょうか?

濱田 その土地の風土にあった対策が必要です。気温や湿度、高度はもちろんのこと、ともすれば命さえ落としてしまう風土病がある地域もありますから、よく調べて予めワクチンを打つとか、旅先に治療薬を持参することも必要です。水や生の食品なども日本にいる感覚で飲んだり食べたりするのは危険ですね。また、いざ感染・発病というときの駆込み医療機関などもしっかりチェックしておくべきです。


人間社会を変革させたSARSウイルス

──ところで、先ほどから出ている「感染症」、「疫病」という言葉ですが、そもそもこの2つの違いは何ですか?

濱田 感染症というのは、風土病と疫病を統合した言い方です。風土病というのは、その地域にもともと存在し、常に患者が発生している感染症であり、疫病とは、元来その地域にないが、新たに持ち込まれ、爆発的に患者が発生する感染症を意味します。

──行った先で感染するだけでなく、持ち帰ることも多いということですね。そういえば、近年話題となった「SARS」(2003年にアジアを中心に流行)は持ち込まれた感染症ということですから、疫病ですね。大変死亡率が高い上、感染力が強く、怖い病気ということで、あの時は世界中が恐怖に陥りましたが、それほどの大事に至らなかったのはなぜですか?

濱田 大騒ぎになったのも、大事に至らなかったのも、どちらも情報化社会の発達によるものです。

特に、世界的な疫病となる前に鎮圧できたのは、隔離の体制など、感染を防ぐ対応策について、インターネットで世界中に伝えられたことが大きいと思います。世界各国の医師は、ネット上で意見を交換し合い、新型ウィルス(SARSコロナウイルス)が病原体であることを突き止めました。

タンザニアにて。アフリカでの在留邦人のための巡回健康相談の様子(写真提供:濱田篤郎)
タンザニアにて。アフリカでの在留邦人のための巡回健康相談の様子(写真提供:濱田篤郎)

──情報化社会の勝利というわけですね。しかしその反面、情報過多により、必要以上にパニックに陥る事態も…。

濱田 SARSの流行は、一つの疫病が、政治、経済、文化など、社会全体に影響を及ぼすことを、私達に経験させた出来事でした。情報過多は、人間社会に大きな恐怖を与え、社会を変革してしまいます。


次から次に誕生する新たな感染症

──人類の歴史の中で、疫病はたびたび発生していますが、今後も未知の病原体が流行する危険性はあるわけですね。

濱田 現在は医学が発展し、結核など細菌性の感染症は防げるようになりました。ただ、新しくウィルスによる感染症が出てきています。インフルエンザにしても、数十年ごとに違う姿に変り、姿を変えたウィルスに対して、人間は全く抵抗力を持ちません。

──その意味でも、SARSの流行が危惧されたのですね。今、鳥インフルエンザへの警戒感が高まっていますが、新しいインフルエンザの誕生は常にウォッチし、事あればスピーディに対応していかなくてはならないわけですね。

濱田 そういうことです。ウィルスはいつも人間に何らかの警告を与えてくれる。最近は、こうしたウィルスの進化を、われわれ人間に対する地球生命の浄化作用ではないかと考える人も出てきました。

──というと?

濱田 人間は、生態系の中の頂点であり、生態系自体を支配してきましたからね。疫病の流行は、自然破壊など人間の行き過ぎた行動に対して、一番下等な生態である、ウィルスからの反撃ではないかと私も思います。

──なるほど。そういう意味では、疫病はこれから先も、人間社会を脅かし続ける存在であり、人間がまたその治療法を探し、ウィルスに挑戦し続けていくという繰り返しなのかもしれませんね。

本日は興味深いお話をありがとうございました。


近著紹介
『疫病は警告する』(洋泉社)

サイト内検索

  

不動産総合情報サイト「アットホーム」 『明日への扉〜あすとび〜』アットホームオリジナル 動画コンテンツ