こだわりアカデミー
「キレ」たり「はまっ」たりするのには 脳内物質の変化が関係しているんです。
脳内物質と心の変化
東京理科大学諏訪短期大学講師
篠原 菊紀 氏
しのはら きくのり
1960年、長野県生れ。85年東京大学教育学部卒業。91年同大学大学院教育学研究科博士課程中退。現在、東京理科大学諏訪短期大学講師、信州大学兼務。2002年より諏訪東京理科大学助教授に。担当講座は脳システム論、人システム論他。現在の研究テーマは行為の快感と習慣化、青少年の前頭葉機能。著書に『新しい健康問題の捉え方』(99年、大修館書店)、『僕らはみんなキレている』(2001年、オフィスエム。お問合せ:026─237─8100)他。
2001年10月号掲載
どんな行動にも「はまる」可能性あり
──ご著書『僕らはみんなキレている』を、大変興味深く読ませていただきました。私達は、これまで肉体と精神を別々の物として考えてきましたが、肉体の一部である脳内の物質によって感情が作られるというのは、驚いた反面いささか寂しくも感じました。いってみれば“心が科学される”ということですから…。
篠原 確かにそうかも知れませんが、私達が自分の脳を使って心というものを考えるということ自体、すでに心を科学しているわけです。ここに科学的分析による知識が加わって、自分の心をのぞき込むと新しい自分が発見でき、気持ちにも変化があらわれる。これはとても面白いことだと思いませんか?
──なるほど。なかなか奥が深そうですね。では、本日はこの「脳内物質と心の変化」を中心にお話を伺いたいと思います。
まず、脳内物質にはどんなものがあるんですか?
【基本的な脳内物質とその性質】 |
篠原 分り易いものにエンドルフィン類があります。これは、モルヒネと同じような働きをする物質で、「脳内麻薬様物質」と呼ばれています。
──モルヒネと同じといわれると、なんだか怖いですね。
篠原 もともと脳内にある物質ですから、人間にとって必要なわけで、麻薬に比べ分解も早く、それほど怖いものではありません。
──どうして必要なんですか?
篠原 例えば、走るのが好きで好きでたまらないという人がいるでしょう? それも雨が降ったりして走れない日なんかは、うずうずして落ち着かなくなってしまうくらいの。
──そういえば私の友人にもいます。休みの日は必ず走っていますよ。どうして自ら苦しいことをするのかと、私なんかは不思議に思っているんですけど(笑)。
篠原 実は、それはエンドルフィンの鎮痛効果がもたらす快感によって、走ることに「はまって」しまっているからなんです。
──といいますと?
篠原 長時間走り続けて体が痛みや疲労を感じだすと、脳内でエンドルフィン類の分泌量が増し、痛みを和らげてくれるのです。そのおかげで走り続けることができます。そして、さらに「快感」や「恍惚感」を感じ、いわゆる「ランニングハイ」と呼ばれる陶酔状態に陥ります。この快感が、人を「また走りたい」という気持ちにさせるのです。
──なるほど。他にも同じようにエンドルフィンの働きによって「はまる」ケースはあるんですか?
篠原 パチンコの場合もそうです。実は3年ほど前に、パチンコをしている時の脳内物質の変化を調べて習慣化のメカニズムを解明する実験をしたんです。
──どのような方法でされたのですか?
篠原 パチンコ好きのボランティアを募って、安静時、パチンコ開始前、大当り開始時、大当り終了時、終了後の安静時、の5回に分けて血液を採取し、いつどの物質の分泌量が多いかを測定しました。
1997年に行なわれたパチンコの実験を再現。実際の実験は、本物のパチンコ店で行なわれた。 (1)まずはパチンコ開始前に血液中の脳内物質を測定。 (2)脳波計を使って、脳波の変化もチェック。 (3)大当りがでたら、すかず血液を採取 |
──血液からでも脳内物質の放出量が分るんですか?
篠原 間接的な方法ではありますが、脳で放出されてから20秒以内には静脈中にあらわれますし、血液1ミリリットル中の1ピコグラム(1兆分の1グラム)の変化まで分るので、脳内の変化を反映します。
──なるほど。それで、何か面白い結果が出たんですか?
篠原 そうなんです。実は、大当りすると「ほっとする」「安心する」といった「安堵」の快感をもたらすβ(ベータ)─エンドルフィンの分泌量が増加したんですが、その増加量がパチンコをよくする人ほど多かったんです。それに、心拍数も大当り直前にピークを迎え、大当り開始後に急速に低下したことも意外な結果でした。
──大当りすると、しばらくは興奮状態が続きそうですが…。
篠原 そこにβ─エンドルフィンの働きがあるんです。リーチがかかると大当りを予期して興奮し、心拍数も上がります。そして、期待通り大当りすれば、β─エンドルフィンの分泌が増し、鎮静効果によって「良かった」と思い「ほっとする」わけです。パチンコをよくする人ほどβ─エンドルフィンの増加量が多いということは、パチンコに打ち込めば打ち込むほど、この「ほっとする」度合い、得られる快感が大きくなるというわけです。
──つまり、パチンコにはまる人は「ドキドキして楽しい快感」よりも「ほっとする快感」にはまってしまうわけですね。
篠原 その通り!
──それにしても、麻薬やアルコールといった「物質」に対して依存や中毒があることは知っていましたが、パチンコやランニングなどの行動にも依存症があるとは、驚きです。
篠原 「依存」と「はまる」ことは多少意味合いが違いますが、メカニズムとしては同じでしょうね。パチンコやランニングに限らず、人はすべての行動にはまることができる生き物です。釣り、テレビゲーム、買い物、恋愛、そして仕事にも。そのすべてに脳内物質の変化が関係しているのです。
「脳の癖」の6割は遺伝子に原因が
──ところで、先生のご著書もそうですが、最近何かと「キレる」子供が話題になっています。
そもそも、キレやすい人とは、どういう人なんですか?
篠原 衝動性が高く、我慢や切替えが難しい人のことをいいます。
私達が何かを我慢する時、こめかみの4センチくらい上にある前頭葉背外側部という場所からGABA(ギャバ)という化学物質が分泌され、動きや考えを止めることができるのですが、キレやすい人はここの動きが悪いんです。
さらに、突然暴れだしたり、過剰におびえたりする人は、「怒り」「おびえ」をもたらすノルアドレナリンの分泌が高く、「幸せ」「癒し」のセロトニンの分泌が低いことがいろいろな実験で証明されています。セロトニンはノルアドレナリンやドーパミンを調整する役割を持っていますから、この分泌が少ないとなるとキレたりするのは当然の結果といえるでしょう。
──どうして、そのような脳構造になってしまうのですか?
篠原 原因としては、遺伝子、育ち方、環境ホルモンの3つが考えられます。
──ほほう。では、順番にお伺いします。まず、「遺伝子が原因」というのは、キレやすい遺伝子があるということですか?
篠原 「キレやすい」ものだけではありません。例えば、「内向的」「はまりやすい」「優柔不断」「やたらと元気」…といった特性がありますが、これはいってみれば『脳の癖』です。私達の脳には、もともとこうした癖を持った遺伝子が存在しているんです。もちろん、人によって持っている遺伝子は違いますけれども。
このいくつかの遺伝子群が環境や周囲の人、さらには自分自身との関係に刺激されながら互いに作用し合って、はまりやすい脳やキレやすい脳を作り上げていくのです。
──脳の癖の何割が遺伝子によるものなんですか?
篠原 約6割です。ですから、脳の問題は、まずは遺伝子の問題として捉えて、その後で人間関係や社会に原因を探っていくべきものなのです。
もっとも、脳は刺激に対して非常に敏感ですから、環境によってある癖が強まったり、癖の性質そのものが変化したりということはあります。
──なるほど。では2番目の「育ち方」というのは、具体的にはどういうことですか?
篠原 先程、セロトニンは「幸せ」や「癒し」の物質といいましたが、子供の頃に十分な愛情をもらえずに育つと、このセロトニンの分泌機能が発達しないといわれています。特に赤ちゃんは、母親と一緒に過ごし、愛情を注いでもらうことによってセロトニン系を育んでいきます。しかし、日本は高度成長期以降、核家族化や地域社会の崩壊が進み、時間をかけて子育てをすることが困難になっています。結果、セロトニン分泌機能が充分でない子供が増えたのではないかと考えられます。
それに、子供の遊び方の変化も、要因の1つです。
──昔は子供が「遊ぶ」といえば、仲間と外を走り回っていたものですが、最近はあまり見掛けませんね。
篠原 少子化やテレビゲームの凄まじい普及によって、「内遊び」「1人遊び」の傾向は加速される一方です。しかし、体を動かすことは「集中」のノルアドレナリンや「やる気」のドーパミンの分泌を増し、脳の発達には非常に重要なことなんです。また、大勢で遊ぶことは、コミュニケーション能力や人間関係から生じるストレスの対処法などを学ぶことにもなり、セロトニン系を育てることになるんです。
──親はできるだけ子供と接し、さらに外で友達と遊ばせることが、健全な脳の発達に欠かせないということですね。では、3つ目の「環境ホルモンの影響」とは?
篠原 ご存じでしょうが、環境ホルモンとは、人間が本来持つホルモンによく似た化学物質のことです。これが体内に入ると、脳に深刻な影響をもたらします。
──といいますと?
篠原 知能指数の低下、注意力・集中力の低下、衝動性・暴力性の高まり…。特に胎児にとってはごく少量でもかなりの影響力があります。
注意力が散漫で、やたらと動き回ったりする症状を、ADHD(注意欠陥・多動性症候群)といいますが、このADHDの原因の一つに環境ホルモンがあると指摘している学者もいます。実際に、アメリカの子供の約5%がこのADHDで、今も数は増えているという調査結果が出ており、日本でもキレる子供や学級崩壊には、これが影響しているのではないかといわれています。
──しかし、子供というのは落ち着きがないのが当り前だと思うのですが。
篠原 そうですね。よく動き回っている時は「やる気」のドーパミンが過剰に出ている状態でもあるので、うまく作用すれば、自発的でやる気のある「大物」ということになります。けれども、バランスの悪い出方が続くと、反社会的人格障害に発展する可能性もあります。
脳は一生変化し続ける
──しかし、冒頭にも申しましたが、脳についてこれだけ科学で解明されるとなると、この人の脳にはあれが足りない、これが足りないと分ってきて、少し寂しい気がしますね。
篠原 いえいえ、そんなことはありません。なぜなら脳はその段階で止まっているのではなく、絶えず変化していくからです。何かが足りないと分れば、それを補おうとさらに変容する。新たな刺激や発想さえあれば脳はいくらでも変ることができます。極端な話、今、「脳が変化に対応できる」ということを知っただけでも、脳にしてみれば凄い変化が生じて来ます。
──なるほど。その変化によって、新たな「知識」が生れ、これまでにない思考や行動を導く…。そう考えると“心の科学”も、寂しいことではないのかもしれませんね。
ところで今後はどのような研究を?
篠原 「旅行と脳」の関係について、遺伝子を絡めて研究していこうと思っています。例えば、3日間の旅行に行ったとき、ある人は初日で満足するけれど、別の人は3日目になってようやく満足できる…。この満足度の差が遺伝子によって解明できるのではないかと考えています。
──では、遺伝子に合せた旅行サービスも出てきたり…?
篠原 それが出来れば面白いですね。遺伝子的に考えればとてつもなくバリエーションが多そうですが、現段階の調査では2、3タイプに落ち着く気がしています。
──なるほど。そういう知識は不動産業を始め、さまざまな分野にも応用が利きそうですね。
篠原 それと、人によって物事の捉え方が違うメカニズムも調べてみたいですね。特に「一流」と呼ばれる人は、どのような遺伝子を持ち、どんな経験をしてきたのか、非常に興味があります。
──それが解明されれば、私達も一流になれるかも…?
篠原 道筋はできると思います。あとは、個人の努力次第でしょうね。
──そうですか。ぜひとも解明していただきたいものです(笑)。
本日は興味深いお話をありがとうございました。
『僕らはみんなキレている 脳からみた現代社会論』(オフィスエム) |
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