こだわりアカデミー
「ファーブルの里」をつくって 子供達に思いっきり虫捕りをさせてやりたい。
昆虫採集の復権を目指す
埼玉大学教養学部教授 日本昆虫協会会長
奥本 大三郎 氏
おくもと だいざぶろう

1944年3月6日(啓蟄)、大阪市生まれ。東京大学仏文科大学院修了。昆虫採集家としても有名。愛読書は『ファーブル昆虫記』。フランスのファーブルゆかりの地をはじめ、ヨーロッパ、東南アジアなどへ何度も採集旅行を重ねている。今年、翻訳本『ファーブル昆虫記』(全8巻)が集英社より発行され話題に。虫に関する主な著書に『虫の宇宙誌』(第33回読売文学賞受賞)、『百蟲譜』『虫の春秋』『珍虫と奇虫』などがある。今年5月、昆虫採集の復権を目指し、日本昆虫協会を設立。初代会長に選ばれた。
1991年11月号掲載
高度成長で、昆虫採集が“悪”になってしまった
──先生は、仏文の教授でありながら、大変な昆虫好きでいらっしゃると伺いました。
近著「ファーブル昆虫記」の翻訳をはじめ、虫に関するいろいろな本をお書きになっていらっしゃいますし、採集家としても有名ですね。
私たちの子供の頃は、皆、虫捕りが好きで、よく昆虫採集などして比べ合ったものでしたが、今の子供たちは変わって来きていますね。
奥本 昆虫採集というのは、ある時期までは、子供が夏休みの宿題として学校に持っていきますと、とてもほめられたものです。また、捕る楽しみと、本や図鑑で名前を調べる楽しみ、そして学問というか、科学への第一歩というような感じがして、いろいろな喜びがありました。
それが、ある時期から、昆虫採集は“悪”になってしまいました。子供が昆虫採集をして持っていくと、先生が「こんな殺生なことして、何ですか!」と叱るようになったのです。
──いつ頃からしょうか。
奥本 どうも高度成長期頃からなんです。開発が進むにつれて、自然が荒らされ、なくなってきたころ頃からです。これ以上殺生してはいけない、というムードになってきたわけです。
──実際、虫を捕らないということはいいことなのですか。
奥本 いいえ、私はそうは思いません。「捕るな、捕るな」と言っていますと、子供はますます無関心になって、虫離れが進んでしまいます。そうなると例えば、花鳥風月といった素晴らしい日本文化にしても、その基盤には、本来、子供の頃の、カブトムシやセミやトンボを捕ったりする遊び、虫への親しみがあったわけですが、そんな伝統的な文化も、このままでは断絶してしまうのではないかとさえ思うのです。
虫捕りのスリルや手触りは人間形成上も重要な体験
──子供たちは今、昔のトンボ捕りやカブトムシ捕りの代わりに、塾に行って忙しく勉強して、その後はファミコンしかやっていない。そう考えてみると、将来ガタンと文化が変わりそうで、何か恐ろしい気がしますね。
奥本 ええ。非常にそれが恐ろしいんです。自然の中にいる虫や魚や鳥というのは、なんといっても美しい。それに、命がけで逃げる虫や魚を追いかけるのは、おもしろいだけでなく、人間形成においても大変重要な体験になるんです。
──わかります。向こうも必死、こっちも必死ですからね。ハラハラ、ドキドキ、スリルとサスペンスがある。
奥本 それから、手触りというのが大事なんです。虫や鳥や魚を捕りますと、手の中でピクピク、ピクピクしています。体温も感じる。そういう手触りや、捕まえるときのスリル、それが大事な体験になるんです。
ヘルマン・ヘッセも、蝶々を忍び寄って捕る時のことを「荒々しい欲望と繊細な喜びの混じり合った気持ち」と、実にいい表現をしています。そういう感情、すなわち、口から心臓が飛び出すような興奮を人生の一番最初の時期に味わうことは、何物にも代えがたい幸福だと思うんです。
──逆に、そういうものを知らないでファミコンで育った子供たちが、将来どういう感性を持った大人になるのか、不安ですね。
奥本 ファミコンをクリアするというのも、一つの満足感があると思いますし、あれもかなり知的なゲームで素晴らしいんですが、自然物にくらべれば、やはり単純ですよ。
──ところで先生は、日本昆虫協会の初代会長ということですが、具体的な活動といいますと?
奥本 子供たちに、昆虫採集を手取り足取り指導しています。
すでに何回か実施しましたが、やはり好きですね、子供は。
──今の子といえども、やはり同じなのですね。
奥本 将来、できればナショナルトラストみたいな形で土地を買いまして、子供たちに思いきり虫を捕らせてやりたいですね。虫の数を増やすにはどうすればいいかというノウハウは、われわれには山ほどありますから、虫の食べる植物を植えて、蛍なら蛍の好きな環境をつくればいい。そうやって虫たちの楽園をつくり、子供たちに思う存分、捕って捕って、捕りまくらせたいのです。
例えば、過疎の村と提携し、「ファーブルの里」というような名称で、子供たちが思う存分虫を捕っても構わない虫捕りの拠点をつくりたいのです。
ちょっとした木があるだけでも虫は増える
──それは楽しいですね。でも、ちょっとやそっとの面積では、とうてい不可能ではないのですか?
奥本 とんでもない。それが鳥や獣との違いでして、虫は、ちょっとした木があるだけで、増えること、増えること、それはすごいですよ。
──都心でも?
奥本 もちろん!今だって、東京のド真ん中のプールには、銀ヤンマなんかがずいぶん発生しているのです。それを毎年洗うから死んじゃってるわけです。
例えば、家の庭にカラスザンショウなんていう植物を植えると、蝶々がいっぱい飛んできます。薬を撒かなきゃどんどん増えるんです。
要するに、虫が何を食べるかを考えておけば、丈夫な普通種ならそのへんの町の公園でも大丈夫なんです。
──自然というのは素直なものなんですね。どのくらい増えるものなんですか。
奥本 例えば、1匹の蝶々は200、300と卵を産むんです。蝶々によっては1年に4回くらい世代交代するから、すぐに何百万匹にもなります。
──ネズミ算なんてもんじゃないですね。
奥本 チョウチョ算ですね。(笑)
しかも、ある一種類の虫だけが増え過ぎないように、虫同士の間でコントロールし合っているんです。一種類の虫が増えると、寄生の虫がそこにワッと来る。それで共倒れになっていったんは静かになり、それからまた増えるわけです。その繰り返しです。
例えば、アゲハが卵を産みますと、それに卵蜂という小蜂が来て、大半の卵を食べてしまいます。かろうじて残った卵がかえると、その幼虫の身体に、今度は、アオムシサムライコマユ蜂が来て、卵を産み付けるのです。卵は、その幼虫の身体を最後の最後まで生かしながら食い殺し、自分たちが世に出て来る。それでも生き残った幼虫が、やっとサナギになれた時にも、また小蜂が来る、といった具合で、その間も、鳥に食われたり、ビールス病にかかったり、といろんな場面を切り抜けて、生き残るものは生き残っていくわけです。そうやってちゃんと増えていく。
──それだけいろんな障害があっても、結果的に昆虫は増えていくわけですね。われわれが網を持って追いかけたくらいでは、絶滅しませんね。
奥本 そうです。ですから、思う存分の環境を与えたらどうなるか。よく新聞などに「ギフチョウ絶滅寸前・・・」なんて書いてありますが、もしわれわれに任せてくれれば、10年でギフチョウの佃煮を売り出して見せます。(笑)
根刮ぎ環境破壊は良くても、個人の採集が禁止とは
──ギフチョウはなぜ減っているんですか。
奥本 戦後、杉をメチャクチャに植えたのが原因です。
──われわれもひどい目にあってます。(笑)
奥本 そう。あの花粉症の木が育って、光が遮られ下が暗くなったのです。そのため、ギフチョウの食物である植物が育たなくなったからです。
──そうなんですか。虫屋さんが捕ってしまったためではないんですか。
奥本 絶対そうではありません。
──よく行楽地に行くと「これは捕ってはいけない、あれも捕ってはいけない」と規制が多くて、癪にさわることがありますけど・・・。
奥本 それが問題なんです。実際、長野県の白馬村には、黄色い帯があるギフチョウがおります。「イエローバンド型(フォーム)」といいまして、とても美しい蝶々です。その辺りに行くと、腕章を巻いた人が来て「採集禁止!」と注意されるんです。ところが、今度オリンピックのために、全部ゲレンデにしてしまった。おかげで全滅ですよ。それについては誰も文句を言わない。それで、採集禁止の条例はまだ残っている。
──根刮ぎやるのは構わないけれど、個人の採集はいけないというわけですね。ちょうど、戦争はいいけど人殺しはいけないというような話しですね。
奥本 各都道府県、全部そうです。
──そういうことを子供たちだけではなく、大人にも、教えるというか、理解してもらえるようにしていかなくてはいけませんね。昔のトンボ捕りの少年の姿を頭に描いている、私みたいなオジサンたちは結構多いと思うんですが・・・。
奥本 いますよ。方々に隠れ虫屋がいます(笑)。木の皮をめくるとパッと出て来る。
──そういう方々の理解と協力があれば「ファーブルの里」の実現は近いと思います。われわれにもできることがあったら、ぜひ手伝わせてください。
今日はどうもありがとうございました。
その後の著作として『虫の春秋』(集英社文庫)、『読書百遍』(TBSブリタニカ)、『本を読む』(集英社文庫)などがある。 また『週刊読売』において「奥本大三郎の新博物誌」を連載中。
今年の夏(8月20日−30日)には「ファーブルの足跡を訪ねて」というツアーを実施。アヴィニヨンやコルシカへ行くとのこと(お問い合わせはアサヒ・トラベルインターナショナルへ)。
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