こだわりアカデミー
人から人へ。 語り継がれる昔ばなしは まさしく人間の歴史そのものなんです。
現代によみがえる昔話
口承文芸学者
小澤 俊夫 氏
おざわ としお

おざわ としお 1930年中国長春生れ、山梨県出身。56年東北大学大学院文学研究科修了。同年東北薬科大学助教授、63年日本女子大学教授、81年筑波大学教授、同大副学長、白百合女子大学教授を歴任。国際口承文芸学会副会長および日本口承学会会長も務める。グリム童話から出発し、日本の昔ばなしの収集および研究に従事。92年より「昔ばなし大学」開講、99年には季刊誌『子どもと昔話』刊行、98年には「昔ばなし研究所」設立など、若手の研究者育成とともに昔ばなしの研究と語りの現場を結び付ける活動を行なっている。主な著書に『昔ばなしの語法』(福音館書店)、『グリム童話を読む』(岩波書店)、『昔話のコスモロジー』(講談社)など、多数。また、『日本昔話通観』(全26巻・同朋舎出版)を編纂した。
2005年1月号掲載
物語のはじまりはどこから?語り継がれた昔ばなしには法則がある
──先生は、日本はもちろん世界各国の「昔ばなし」についてご研究されている第一人者と伺っております。
私自身、大人になった今でも、なお身近に感じている昔ばなしについて、本日はいろいろとお話をお伺いできればと思っております。
まず始めに、昔ばなしは洋の東西を問わず古来よりあまたありますが、これらはどのようにして生れたのでしょうか?
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(上)『白雪姫』などでなじみ深いグリム童話集も、改訂の折に世情に合せ変化していった。写真はドイツ・ハーナウにあるマクルト広場のグリム兄弟像 <写真提供:小澤俊夫氏> |
小澤 昔ばなしの発祥についてはさまざまな説がありますが、グリム童話研究者として名高く、私の師でもあるクルト・ランケという人の有名な言葉があります。
「人が家庭をつくって以来、物語が絶えたことはない。語ることをやめたことはない」というものです。
実に単純な理由で、その日体験してきたことについて、親子間や兄弟間で話し合ったんです。例えば、狩りをしている間に起きた恐ろしいこと、あるいは畑仕事の最中に起きたことなどを、みんな家に帰って話した、それが物語のはじまりでありました。
──日本でも随分古くから物語がありますね。
小澤 そうですね。例えば「わが一族の祖先はこんな出来事があって、こんなふうに解決してきたんだよ」といった話は神話になっていくなど、生活のもろもろな場面で物語のモチーフは生れてきたようです。
──では、現代に伝わっているような物語形式になったのは?
小澤 すでに中世の終り頃には、現在のような起承転結がある物語形式が見られます。ということは、それ以前から物語のモチーフなどは存在していたのでしょう。
──中世というと、日本では「今昔物語集」の頃。人が社会生活を営む頃からあると思っていいようですね。
さて、「今昔物語集」もそうですが、物語はなぜ、どのように語り継がれてきたのでしょうか。逆からいえば、聞いた話を伝える動機は何でしょうか?
小澤 いくつかの要素が考えられます。まず、子どもも大人も理屈抜きで今日起きた出来事を体験談として話したいという思いがあります。もうひとつ、昔ばなしは家庭内の娯楽であった、ということがあるのではないでしょうか。
また、語り継がれてきた世界各国の昔ばなしには共通の法則が見付かっています。構造的に優れたものが印象に残り、伝えたいと人々に感じさせたのではと思われます。
──世界の昔ばなしに共通の法則があるのですか?
小澤 そうなんです。語り継がれてきた昔ばなしは物語が持つ構造やモチーフ、語法などが共通している部分が多いのです。しかし、物語が語り継がれる上で、それよりももっと大事なものがあると私は思っているんです。
──というと?
小澤 それはどのような環境で語り継がれてきたかです。
かつては日が暮れてしまうとできることが少なく、明かりや暖を取るために薪がくべられると、そこに人が自然に集まって話が始まったわけです。大人同士が語ったり、年配者が子どもに話したり…。顔を見合わせて、生の声で語られました。
そういった過程で物語は、文章とは異なった語りの法則、すなわち耳で聞くのに魅力的で洗練されたものになってきたのだと推測されます。重要なのは、そこに人間的な生のコミュニケーションがあったということです。
──なるほど、それはテレビで昔ばなしを知るのとはわけが違いますね。
そうして語られるうちに語りの法則にも磨きがかかり、より至妙なものが現代まで伝承されてきたわけですね。
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『働くお父さんの昔話入門』(日本経済新聞社) |
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