こだわりアカデミー
家相について調べてみると、いつの時代も 人々の平安を願う気持ちがひしひしと伝わってきます。
『家相の民俗学』を上梓。 「君が代」は「まじないうた」だった?
民俗学者 お茶の水女子大学生活科学部助教授
宮内 貴久 氏
みやうち たかひさ

みやうち たかひさ 1966年、岩手県生れ。89年、筑波大学第一学群人文学類卒業、97年、同大大学院博士課程歴史・人類学研究科文化人類学専攻単位取得退学。文学博士。同年、日本学術振興会特別研究員、2000年、聖徳大学人文学部日本文化学科専任講師に就任し、04年より現職。人間がいかに環境を認識し、生活の場である住居を造り上げてきたかを主要な研究テーマとし、全国各地で民俗調査と民家調査を実施。風水や民家・民具、文字文化などについて解明を進めている。共著に『都市と境界の民俗』、著書に『家相の民俗学』(ともに吉川弘文館)など。
2007年1月号掲載
寺小屋普及とともに、庶民にも急速に浸透
──ところで先生、家相という考え方はいつ頃からあるものなのでしょうか?
宮内 そうですね、日本を始め、東アジアにおける住居の吉凶に関する考え方は、3世紀頃中国の『管輅』(209−256)と『郭璞』(276−324)によって体系化された『風水』と呼ばれる思想の影響が大きいといわれています。風水は土地の気の流れと、地相と呼ばれる土地の相の陰陽を観察・判断し、その土地の人々に降り掛かる災禍を防ぎ、幸福を招くという考え方です。古来より墓地の建設、都市や城郭、村落の建設、住居とそれを取り巻く環境のあり方を判断する際に用いられてきました。
風水では、生きている人間の活動の場、つまり都市や住居を「陽宅」と呼んでおり、この陽宅風水が近世末期、家相という形で日本に定着したといわれています。
家相が一気に庶民にまで広まったのには、寺小屋が普及し、識字率が格段に上がったことや、書籍が流通し始めたといった社会背景が大きく影響しているんですよ。
──へえ。そもそもこの時代の知識人は教養として四書五経を学んでいましたから、易学としての素養もあったし、家相を受け入れる下地は十分にあったんでしょうね。
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福島県大沼郡昭和村・只見町、茨城県つくば市・牛久市・岩井市、石川県輪島市などで、建築学者らなどと共同でフィールドワークを実施している。写真左は奥会津、写真右は茨城県桜川市真壁にて<写真提供:宮内貴久氏> |
ところで、家相として広まったのは近世末期だそうですが、それ以前は住居等に関わる吉凶の考え方はなかったのでしょうか?
宮内 そうですね。住居等に関して『どうあるべきか』、という世界観、具体的にはどのような土地を宅地として選べば良いのか、空間の相互関係はどのようにあったら良いか、といった考え方は洋の東西を問わず、古代からあるようです。
厳しい自然環境から人々は家族の生命や財産を守るため、さまざまな工夫をしてきましたが、そうした努力に関わらず、人知を超えた災難に見舞われることもありました。災難の理由が分るものがある一方で、不可解なこともある。そういったとき人々は住居のあり方取り巻く環境について考えをめぐらせ、この世界を支配し統括する原理を知りたいと願わずにはいられなかったのでしょうね。
──確かに。平安時代に陰陽寮や陰陽師が活躍していたのもそうした願いが背景にあったのかもしれませんね。
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