こだわりアカデミー
環境考古学者にとって、 ゴミ捨て場やトイレは“宝の山”です。
ゴミ捨て場が宝の山。自然遺物から昔の生活を探る
(独)国立文化財機構 奈良文化財研究所 埋蔵文化財センター 環境考古学研究室 室長
松井 章 氏
まつい あきら

1952年、大阪府生れ。専攻は環境考古学、動物考古学。71年、東北大学文学部入学後、78年〜79年まで米・ネブラスカ大学人類学科に留学。82年、東北大学大学院博士課程後期を中退し、現在の(独)国立文化財機構 奈良文化財研究所に就職。現在、同研究所 埋蔵文化財センター 環境考古学研究室 室長、京都大学大学院 人間・環境学研究科 文化遺産学分野 准教授を併任。著書に「環境考古学マニュアル」(編著、同成社)、「考古学と動物学」(共編、同成社)、「考古科学的研究法から見た木の文化・骨の文化」(編著、クバプロ)、「古代湖の考古学」(共編、クバプロ)など。
2008年1月号掲載
骨や植物などの「自然遺物」から昔の生活を探る
──先生は「環境考古学」の第一人者としてご活躍されていると伺っています。耳慣れない学問ですが、どういったご研究をされているのですか?
松井 もともと考古学は人間がつくったもの、つまり「人工物」の研究ですが、環境考古学は、人間がどういう環境の中で、どのような生活をしていたのかを研究する学問です。
──「生活」というと、具体的には、どのようなものが研究対象に?
松井 ゴミ捨て場やトイレの遺跡を発掘して出てくる遺物です。茶碗そのものよりも、その茶碗の中に何が入っていたのかを調べる、というと分りやすいでしょうか。
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中国浙江省にある田螺山遺跡にて、北京大学大学院の動物考古学専攻の学生に出土した動物骨の観察法を指導中。同遺跡は、約7000年前に稲作を行なっていた集落〈写真提供:松井 章氏〉 |
──茶碗の中身は残飯として捨てられるか、排泄物になる、というわけですね。こうした学問は昔からあったのでしょうか。
松井 1950年代に、イギリスのロンドン大学に「環境考古学部門」が設けられたのが最初です。それまで、出土した骨や植物は「自然遺物」と呼ばれ、考古学の対象外で、自然科学者に任すべきものとされていました。しかし、こうした遺物にこそ、過去の人々の生活情報が詰まっていることが気付かれ、注目され始めたのです。
日本で学問として確立したのは1970年代と、つい最近のことです。現在では環境問題や「トイレの考古学」が注目を浴びていることもあり、学問として発展してきています。
──なるほど…。
先生はなぜ、環境考古学にご興味を?
松井 母校である東北大学のある仙台の近くには、たくさんの貝塚がありました。貝塚は縄文人の「台所のゴミ」の堆積物です。いろんな時代の台所のゴミを調べていけば、歴史が語れるのではないか、と思ったのがきっかけです。
古墳などから出てくる装飾品には、全く興味がありませんでした(笑)。
縄文時代のゴミ捨て場から農耕の痕跡も
──縄文人は狩りや漁労、野性植物の採取を生業にしていたといわれていますが、先生は農耕もある程度なされていたと主張されていますね。
松井 エゴマ、シソなどの有用植物の種子や、ヤマノイモの仲間の葉の下にできる「ムカゴ」が遺跡から発見されていることから、そうではないかと推測しています。
植物を食べ、定住生活を続けていれば、ゴミ捨て場やトイレから種子が発芽する。それがだんだんと生い茂り、間から生えてくる雑草を人間が引き抜く。有用植物が生育しやすい環境を、人間が自然とつくっているわけです。
野生から栽培へと徐々に移行していく時期が、すでに縄文時代にあったのではないかと。
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オレゴン州ポートランド市近くの、コロンビア川中州にあるサンケン・ビレッジ遺跡。水漬けの遺跡であるため、普通の遺跡では残らない植物性の遺物が多く残っており、ドングリなどが発掘された〈写真提供:松井 章氏〉 |
──人間と植物のバランスがだんだんととれてきて、生活環境が少しずつ変化していくわけですね。
ところで、先生は縄文時代の戦いの跡も発見されたとか。
松井 はい。高知県にある居徳遺跡で、成人女性と思われる人間の太ももの骨が見付かったのですが、この骨には矢が突き刺さったと思われる貫通痕が残っていました。
──それは…。海から異民族か何かが侵入してきて、村を襲撃したのでしょうか。成人女性を狙ったとなると、虐殺も考えられますね。
松井 そうですね。人骨の中にはノミのような金属器で太ももを何度も突き刺された跡や、先ほどの矢の貫通痕のある女性の骨には、さらに太ももの付け根を一太刀で切断されかかった傷跡も見られます。
その傷跡は、縄文時代にも金属の刃物があったことを示しています。
文献だけでは知り得ない貴重な発見も…
──先生のご研究は、縄文から中世だけでなく、近代にまで及んでいますね。他にはどういったご発見を?
松井 3年前に行った鹿児島県知覧町の発掘では、江戸時代中期に薩摩藩が酸性の強いシラス台地を改良して畑にするため、動物の骨を砕いて肥料としてまいていたことが分りました。骨は大阪からも取り寄せていたようで、関西一帯の遺跡から、ウシやウマの骨が消えています。
また、売買の記録も残っていて、長州藩からも動物の骨を受け取っていたことが分りました。
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──今まで捨てていたものがお金になるわけですから、大勢の人間が骨を薩摩へと送っていた…。こうしたことは、表の歴史では知り得ないことですね。
松井 売買の記録や、戦前の人々の記憶から動物利用の歴史を探り、発掘で裏付けていったわけです。
骨のおかげで土壌を改良することができた薩摩藩は、菜種の生産を飛躍的に増大させました。これが明治維新のときに、薩摩藩の豊かな財政を支えたのです。
──薩長はもともと経済的に強いつながりを持っていた。ともに幕府に反抗する素地はできていたことが、動物考古学から読み取れますね。
家老屋敷の裏庭を掘り返し、ウマ・ウシの食べカスを発見
──環境考古学は学際的な研究ですので、まだまだ面白い発見が期待できます。
松井 そうですね。まだまだ多くの可能性を秘めた学問だと思います。植物学、寄生虫学、病理学…といった関連領域の学問を総合化することで、歴史学だけでは解明できない証拠をもたらすことができるでしょう。
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(右上)居徳遺跡から発掘された、成人女性の大腿骨。(右下)シカの骨製の矢が突き刺さったであろう貫通痕。骨の傷跡から、彼女が正面上方から射られた骨鏃で、左膝の上を打ち抜かれたと分析。上はその推定図 〈写真提供:松井 章氏〉 | ![]() |
──現在のご研究のテーマは?
松井 「家畜」です。古代・中世の日本では、食べるための家畜は存在しなかったと一般にいわれています。
しかし、江戸時代の明石藩家老屋敷や大阪城下町では、裏庭に穴を掘って、イヌやブタ、もしくはイノシシなどの食べカスを、証拠隠滅のために埋めていたことが発掘で分りました。
──江戸時代の人たちは、まさかゴミ捨て場を掘り返されているとは思っていなかったでしょうね(笑)。
先生のご研究は、いずれ歴史をひっくり返すような事実を見付けるかもしれません。
これからも新しい発見に期待しています。本日はありがとうございました。
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※松井 章先生は、2015年6月10日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)
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