こだわりアカデミー
かつて東北地方には、「蝦夷(えみし)」 と呼ばれる朝廷の支配が及ばない人々がいました。
東北の支配者・蝦夷
歴史学者 福島大学名誉教授
工藤 雅樹 氏
くどう まさき

1937年、岩手県生れ。61年、東北大学文学部史学科卒業、66年、東北大学大学院文学研究科博士課程修了。宮城学院女子大学教授を経て、福島大学行政社会学部応用社会学科地域文化講座教授。現在、福島大学名誉教授、博士(文学)。主な著書に『古代蝦夷の考古学』、『蝦夷と東北古代史』、『東北考古学・古代史学史』(以上98年、吉川弘文館)。この3冊により第8回雄山閣考古学賞受賞。『古代蝦夷』(2000年、吉川弘文館)、『古代蝦夷の英雄時代』(同年、新日本新書)、『蝦夷の古代史』(01年、平凡社新書)など多数。
2004年2月号掲載
領土支配へのこだわりは、世界に共通する考え
──それでは、交易を行なう関係だった蝦夷と朝廷の間で、なぜ歴史に残る争いが行なわれるようになったのでしょうか?
工藤 蝦夷の人々の中にも、朝廷との関わりに賛成する集団と反対する集団がいました。
どの国でも共通することですが、集団同士は、上から権力で押さえつけられないと、絶えず対立抗争を繰り返す傾向があります。朝廷はその性質を利用して、朝廷側に味方する集団に物や称号を与え、敵対する集団と戦わせました。こうして争いが激しくなっていき、大きな反乱へと発展していったのです。
──そうした争乱の時代に、敵同士でありながら友情を育んだとされる蝦夷の英雄アテルイと、蝦夷地を平定した征夷大将軍・坂上田村麻呂などが登場するのですね。
工藤 そうです。地方には集団単位でリーダーがいて、小説などで有名なアテルイは、比較的初期のリーダーにあたります。アテルイは、蝦夷の集団を結束させ、制圧に乗り出す朝廷軍と果敢に戦い、歴史的勝利を収めたとされています。
──そのあたりから両者の関係は、交易目的から領土支配、交流から対立へと移り変っていったのですね。
工藤 朝廷は蝦夷との戦いのために、当時としては相当な国家予算を注ぎ込みました。
その結果、朝廷の支配地は、現在の岩手県盛岡市のあたりにまで広がりましたが、資金はもちろんのこと、人的資源の消耗は大変なもので、8世紀末の桓武天皇の時代には、さすがにやり過ぎたと反省し、以後は積極的な東北遠征を控えています。
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岩手県九戸村黒山の昔穴遺跡を掘りあげた後の、学生との記念写真 <資料提供:工藤雅樹氏> |
──それにしても、膨大なエネルギーを費やしてまで、朝廷はなぜ蝦夷支配にこだわったのでしょうか?
工藤 それはやはり権力拡大のためです。情報収集もあるでしょうが、領土を広げるというのは人類共通、世界共通の考えではないかと思います。それに加えて交易の利という実質的な面も重要でした。
──なるほど、よく分ります。しかしその一方で、朝廷が東北進出を控えた後は、上からの圧力がなくなり、かえって集団の抗争が激化したそうですね。
工藤 確かにその通りです。
この10年ほど、「高地性集落」という山の上に作られた村について発掘調査を行なっています。これは、深い谷と険しい斜面を利用し、敵からの襲撃を受けにくくするという集落の作り方なのですが、集団間の抗争がピークに達する平安時代後期に作られたものが非常に多いのです。
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岩手県西根町子飼沢山(こがいざわやま)遺跡で、竪穴住居跡の発掘調査を行なう様子 <資料提供:工藤雅樹氏> |
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『蝦夷の古代史』(平凡社新書) |
※工藤雅樹先生は、2010年1月29日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)
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