こだわりアカデミー
小さな気付きから大きな発見を導き出す。 それこそ考古学の醍醐味
邪馬台国は畿内にあり
大阪大学大学院文学研究科教授
福永 伸哉 氏
ふくなが しんや

1959年広島県生まれ。大阪大学文学部史学科卒業、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程に学ぶ。文学博士。大阪大学埋蔵文化財調査室助手、大阪大学文学部助教授、大阪大学大学院文学研究科助教授を経て、2005年より現職。国や地方自治体の文化財関係の委員も務める。主な研究テーマは、三角縁神獣鏡、前方後円墳などに関するもので、弥生時代・古墳時代の歴史を、中国や朝鮮半島を含めた東アジアの歴史動向の中で再構築することを目指している。著書は『シンポジウム三角縁神獣鏡』(編著・学生社)、『邪馬台国から大和政権へ』(大阪大学出版会)など多数。
2014年9月号掲載
福永 桜井市にある纏向(まきむく)遺跡の中に箸墓(はしはか)古墳という古墳がありますが、全長280mという大きさです。それ以前の墳墓は大きくても70〜80mでした。
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「箸墓古墳」(奈良県桜井市)。周辺の発掘調査で出土した土器の付着物を炭素14年代法で測定した結果、240〜260年ごろにつくられた最古の古墳だと判明〈写真提供:桜井市教育委員会〉 ※転載不可 |
──急に3倍以上になるとは、やはり巨大権力の存在を感じさせますね。もはや邪馬台国は畿内だったと言っていいのではないでしょうか。
福永 そうですね。私はそう考えています。さらに箸墓古墳が卑弥呼の墓と仮定すれば、卑弥呼と大和政権とのつながりも類推できます。
──どのように?
福永 古代の天皇の中で、実在した人物として最も古い存在は10代目の崇神(すじん)天皇とされていますが、崇神天皇の墓は箸墓古墳の近くにあり、周辺には複数の巨大な前方後円墳がある。出土する土器の様式の違いから、これらの墓は時期が少しずつずれていることも分かっています。こうした状況から、卑弥呼と後継者の女王・台与(とよ)、その数代後が崇神天皇だとすれば、卑弥呼から大和政権の最初の天皇まで、その一帯を中心に権力を維持し、繋がっていると考えることが可能となります。
──なるほど。もう間違いないような気がしてきました。
魏特有の技法に着目。畿内説の決定打に!
──ところで、先生は畿内説に関する決定的な発見をされたとか。
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『邪馬台国から大和政権へ』(大阪大学出版会) |
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