こだわりアカデミー
実生活の主流は音声言語なのに 話し方に対する関心は薄いですね。
話しが下手な日本人
筑波大学文芸・言語学系助教授
城生 佰太郎 氏
じょうお はくたろう

1946年、東京生まれ。1971年東京外国語大学大学院終了。在学中はモンゴル語を専攻、また金田一春彦氏に師事し、言語学の道へ。東京学芸大学専任講師を経て、現在、筑波大学文芸・言語学系助教授。専攻は言語学、音声学。日本言語学会委員、日本音声学評議員。言語学をひろく一般にわかりやすく伝えることをモットーに多方面で活躍中。
著書、「日本語ちょっといい話」(1991年発行、創拓社)は、普段何気なく使っている日本語の不思議さなどを、様々なエピソードや、科学的な分析を含め、興味深く書かれている。他著に、「当節おもしろ言語学」「日本人の日本語知らず」など多数。
1992年1月号掲載
日本人が話し下手なのは学校教育が原因
──言語学・音声学がご専門の先生から見て、人の話し方の上手・下手はどこがポイントだとお考えでしょうか。
城生 人の話し方というのは、大きな意味で「音声言語」という分野に入ります。音声言語というのはすなわち、自分で話す、相手の話を聞く、あるいはテレビ、ラジオを聴く、というように、音声を使った言葉の範囲です。それに対して、新聞を読んだり、本を読んだりするのは「文字言語」と言われます。
話しの上手・下手にはいろいろな要因がありますが、日本人が一般に話下手と言われるのは、私は学校教育のせいだと思うんです。日本の国語教育の90%以上は文字教育ですね。音声言語に関しては、ほとんど教育が行われていません。
──そう言われてみると、学校では書き取りから始まって作文、論文と、文章作りは教えてくれるけれども、しゃべり方は教えてくれませんね。
城生 ええ。だから文章力はつきますけど、話し方はうまくなりませんね。
ところがヨーロッパでは、文章力などは知的生産の対象にはならないんです。文章の上手、下手というのは非常に低レベルな技術だとされています。
なぜならば、エリートというのは自分では文章を書かず、秘書に口述速記させるからです。私はこう思う、ああ思うと口で言うと、秘書が傍らでパタパタとタイプするわけです。エリートは自分の発想、アイディアを提供するのが仕事であって、文章に書き表すのは秘書の仕事なんです。
──ということは、いかにうまく話せるかが重要になるわけですね。
城生 そうですね。人前で、音声言語で自分の主張ができなければ、その人は知的階級ではない、ということです。
──日本の学校で、そういう教育をしている例は耳にしませんね。それより、そういう教育がないということ自体をあまり問題に思わない。ましてや、受験戦争の中で、そういう分野はなおざりにされている。
城生 受験もいけないですね。英語の試験にはアクセントの問題は出るけれども、国語の試験でアクセントの問題が出たなんて聞いたことがありません。ヒアリングテストもそうです。
アメリカの小学校では、1年生の英語の時間に、母音から始まって発音練習をしっかりさせるそうです。
──実生活、社会生活の中では、“人と話す”“人の話を聞く”というのは、ひょっとしたら文字や文章を書いたり読んだりするより、比重が大きいんじゃないですか。
城生 確かにそうですね。例えば、平均的な日本人に、ある一日録音機を付けて調査してみますと、一日のうち必ず20分以上は音声言語を使っているというデータが出ています。音声言語で20分というと、文字言語のおよそ1万4千字に匹敵するんです。では一日にそれだけの文字数を普通の人が読んだり書いたりするか・・・。
──それはまずないですね。
城生 作家など物を書くのが仕事の人ならともかく、普通の人にはありえませんね。それだけ、私たちは日常、音声言語を使い、頼っているということなんです。なのに、その重要性を誰も評価しようとしない。
文字がきれいに書ける人とか文章がうまい人は、「教養がある」などと言われますが、音声言語に対しては、「沈黙は金なり。雄弁は銀なり。」などと言われるほどです。
現在は筑波大学文芸・言語学系教授に。
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