こだわりアカデミー
万葉歌に多方面の研究を重ね合せて見ると… 万葉びと達の暮らしと心が見えてくるんです。
万葉集には生活文化の情報がぎっしり
奈良大学文学部教授
上野 誠 氏
うえの まこと

うえの まこと 1960年、福岡県生れ。65年、国学院大学卒業、同大大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。文学博士。財団法人奈良県万葉文化振興財団万葉古代学研究所副所長。研究のテーマは、万葉挽歌の史的研究と万葉文化論。「体感する万葉」をモットーにMBSラジオ「上野誠の万葉歌ごよみ」やNHKラジオ「ないとえっせい」などでも活躍している。著書に『古代日本の文芸空間−万葉挽歌と葬送儀礼』(雄山閣出版)、『万葉びとの生活空間−歌・庭園・くらし−』(塙書房)、『芸能伝承の民俗誌的研究−カタとココロを伝えるくふう−』(世界思想社)、『万葉にみる 男の裏切り・女の嫉妬』(NHK出版)、『おもしろ古典教室』(ちくまプリマ−新書)、『小さな恋の万葉集』『万葉体感紀行』(ともに小学館)など多数。
2007年3月号掲載
人々の心情、生活、流行...万葉集には情報がぎっしり
──先生は主に、万葉集を中心とした古典文学の研究をされており、また、多くの著書を執筆されていらっしゃいますよね。そのうち何冊かはわが家の本棚にも入っております。先生のご研究は文学の範疇にとどまらず、その時代背景や生活といった考古学や民俗学的なものまでご研究の手法として取り込んでおられ、とても、臨場感を持って古典文学を味わうことができます。
ところで、そもそも先生が万葉集に興味を持たれたきっかけは?
上野 そうか…。読者とご対面ですね。私は福岡の生れで、福岡といえば、飛鳥や奈良、京都に並んで古代の研究が盛んな地域なんです。遺跡の発掘現場などが近所にあったり、幼い頃から古代の世界を身近に感じていたんですよ。『歴史を動かしたもの』に興味を覚えていた歴史少年だったんです。
古代を知る資料として「日本書紀」や「続日本紀」といったものがありますが、こういったものはあくまでも公的な記録ですので、時代の気分や心情、生活や流行といったものは分らないんです。しかし、万葉集には人々の暮らしや心情が汲み取れる歌も収載されています。
──確かに。大伴家持の痩せた人を笑う歌で、「石麻呂に 我物申す 夏痩せに 良しというものぞ 鰻捕り喫せ」「痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな」といったものがありますが、これは当時のユーモアだけではなく、夏痩せに鰻が効くということが、万葉の昔からの生活の知恵になっていた様子がうかがえますね。
上野 さすがですね。その通りです。万葉集には、歌だからこそ読み取れるような情報が多く詰まっているんです。「官報」にはカレーのレシピは載っていないでしょ。
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万葉集は歌だけであれば書籍1冊に収まるが、その解説書ともなると20巻にもなる(上野氏の研究室にて) |
洗濯ひとつとっても活き活きとした当時の様子が
──それにしても、先生の万葉集の解釈には、いわゆる文学的解釈以外のさまざまな情報が入っているように感じますが、そういった情報はどうやってキャッチしていらっしゃるんですか?
上野 年に10日間程、自宅を離れ、浴びるように本や資料を読んでいます。逗留することになる旅館には事前に大量の本を送っておいて…。その中に、必ずヒントになるものがあるんです。隔離された時間って、ビジネスマンにも必要だと思いますよ。
「洗濯」を例にとると『洗濯機の導入により女性の余暇時間ができた。男性が洗濯労働に参加するようになったのは戦後のこと』といった情報を得たとします。じゃあ、洗濯という女性労働が古典にどのように出てくるか考えよう、ということになる。
──古代の洗濯というと…。洗濯機などありませんから、川などで洗濯するわけですよね?
上野 そうです。古代、女性達は特定の川や泉に集い洗濯をしていたようなんですが、そういった場所は、男性にとっては女性を見る名所になるんですよ。
男性は、冷たい川の水にさらされながら、肉体労働としてもきつい洗濯をする女性の姿を見て「かわいそうだ」という感情が湧き、それから好きだという感情に転じていく…。
そんなふうに見ていくと、洗濯と日本人と恋愛の歴史、のようなものが見えてきます。万葉集に限らず、洗濯の場面は古事記、風土記、伊勢物語などいろいろなところに登場しますから、改めてそういった視点でその情景をもう一度見直してみると、新しい視点が生れ、新しい解釈が可能になってきます。
実際、万葉集の中にも、女性の洗濯場を指して、「その中にいいこがいたらいいのになぁ」と心情を語っている歌が収められています。
──確かに「桃太郎」や「瓜子姫」といった昔話の中にも、女性が洗濯労働をしている場面は数多く登場しますね。そういった視点で物語を見直してみると、より立体的にというか、当時の生活文化が見えてくるような気がします。
上野 そうです。そうです。なぜ物語に洗濯の場面が登場するかを考えなくちゃいけない。
考古学は考古学、民俗学は民俗学として個別に研究することは可能ですが、そこから得られた像のようなものを、特定の時代とか、特定の人物に重ね合せてゆくんですよ。
例えば奈良県の飛鳥では、世界に類を見ない程の密度で発掘が進められており、どのような建物がどこそこにあった、ということが、手にとるように分るようになった。しかし、建物があったということが判明したとしても、想像できるのは空き家の姿でしかない。そこに、万葉歌と民俗資料を重ね合せると、生活と心情が浮かび上がってくるんですよ。
──つまり、万葉集を文学と限定して捉える必要はないということでしょうか。
上野 はい。「万葉文化論」とでもいいましょうか。私達は単に文学を読むだけではなく、その時代を生きた人の生活や心の歴史といったものにまで考察の範囲を広げていきたいと思っているんです。
──なるほど。文学も、数ある人間の営みのひとつと見て、特別視しないわけですね。
上野 かつて、哲学と文学は人文系学問の王様でした。しかし、文学が持っていた「心」という側面は心理学に、歴史的なものは歴史学に託され、いわば、分割相続されていったんですよ。で、その結果どうなったかというと、文学には解釈学しか残っていない。でも、「この解釈は合ってるか間違っているか」だけやっていたら、文学は面白くない。学生だって嫌になりますよね? やせ細っちゃあ、いけない。
──確かに。面白いのは人間ですよね。私も、そう思います。
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(左)万葉の世界を多くの人に知ってもらおうと、ラジオ等にも多数出演している上野氏<写真提供:上野誠氏> |
ネクタイをしない『ヒルズ族』も文学的な研究対象に
──それにしても、先生が新たな研究手法を投入することによって、新しい切り口や見方が生れるということは、解釈としても随分楽しくなりますね。
上野 例えば、現代のビジネスマンはスーツを着て、ネクタイをしている場合が多いですが、『ヒルズ族』と呼ばれている人々はあまり好んではネクタイをしません。それは、既成の価値観に対する何らかの抵抗的な姿勢を示してもいるわけです。そういった視点で情報を拾い直し読み返してみる…。こうやって社会情勢や現状について考えてみることは、とても文学的であるとも思っているんですよ。
──なるほど。どうりで先生の執筆された万葉集の解説書は、現代人の感覚に通じるような臨場感が味わえるのですね。どうして面白いのか、よく分った気がします。
本日はどうもありがとうございました。
【取材を終えて】
取材日当日、お互いの軽い挨拶の後に、上野先生の口から「これもご縁ですね」との言葉が。
はて? と思っていると、先生が「もとは親父のもので、僕がずっと持っていました」と、デスクから青い大きな穴あけ用パンチを持ってきてくれました。
よく見てみると、それには、今から約30年程前に私がデザインした「福岡県不動産流通センター」のシールが…。
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上野氏が長年愛用している穴あけ用パンチには「開設記念 1979.4 福岡県不動産流通センター」のシールが |
何でも先生のお父様は以前、不動産会社を経営されていたそうで、穴あけ用パンチは協会からいただいたものだそうです。
お父様がお店をたたんだ今では、唯一、不動産の仕事をしていた証拠なんだとか。
ちなみに、その穴あけ用パンチは当時では珍しく厚い書類にも使用できたとかで、先生の論文のみならず、現在でも先生のところで学ぶ数多くの学生さんの卒業論文を綴じるのに活用されているそうです。(松村)
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『おもしろ古典教室』(筑摩書房) |
上野 誠先生は、2021年4月より國學院大學文学部日本文学科教授(特別専任)に就任されました。
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