こだわりアカデミー
漆を塗ると、ものが生き生きしてくるでしょう? まさにこれがアジアの美の原点です。
「うるし」と古代日本人
漆芸家・世界漆文化会議議長 東京芸術大学美術学部漆芸研究室教授
大西 長利 氏
おおにし ながとし

1933年山口県下関市生れ。59年東京芸術大学美術学部漆芸科卒業。翌年より同大学漆芸科研究室で 松田権六、六角大壌両氏に師事、根来(ねごろ)塗りの研究に取り組む。80年、文部省派遣在外研修 員として渡英。84年からアジア漆文化源流調査を開始、これまでに中国、韓国、ベトナム、ミャンマ ー、タイ、チベット等の漆文化を調査視察。東京芸術大学助教授を経て現職。専攻は乾漆、蒔絵。漆芸 家としても「個展・大西長利漆芸展」(86年)、「日本・中国現代漆芸展」(91年)、「個展・大西 長利漆空間展」(同)等多くの展覧会に作品発表を続けている。日本クラフト大賞、クラフトセンター 賞受賞。日本クラフト・デザイン協会会員、日本漆工史学会会員。世界漆文化会議議長。 著書に「漆 うるわしのアジア」(95年、NECクリエイティブ−写真下−)。今年の10月に予定されている 「世界漆展」(仮称)開催に向け、多忙な毎日を送っている。
1996年5月号掲載
7000年も前に、中国で漆のお椀が作られていた
──「漆」というと、私などはまず、お椀、お膳といったような漆器が頭に浮かびます。欧米では漆器のことを”japan(ジャパン)”と呼ぶなど、日本文化を代表するものとしても位置付けられているわけですが、先生のご著書「漆 うるわしのアジア」を拝読いたしまして、日本以外のアジアの数多くの国々にも漆文化がさまざまな形で根づいていることを知り驚きました。
ところで、漆文化はもともとは中国で誕生したということですね。
大西 ええ、そう考えられます。なぜかというと、中国・長江(揚子江)河口近くにある河姆渡(かぼと)遺跡(浙江省余姚県河姆渡村)から、約7000年前に作られたと思われる漆椀が見つかっており、これが今まで世界で発掘された漆器の中で一番古いものだからです。
しかもそのお椀には朱(しゅ)塗りが施してあり、高台まできちんとついていたんです。技術的にも形状的にもかなり現代ものに近いわけで、つまりその時点で、すでに漆文化は非常に完成度が高かったと言えます。
──中国の漆文化は、7000年よりずっと昔から始まっていたと考えられますね。一方、日本ではいつ頃から・・・?
大西 日本ではこれまでに出土した漆器の中で一番古いのは、約6000年前の朱塗りの櫛です。福井県の若狭湾に面したところにある鳥浜遺跡(福井県三方郡三方町鳥浜)で見つかっています。これも、その時点でかなり高い技術水準に到達していますから、おそらく日本においても、それ以前にかなり長い揺籃期があったと考えられます。
──河姆渡と鳥浜の間には確かに1000年のギャップがありますが、日本の漆文化が独自に誕生したものではなくて、中国から伝わってきたということには何か根拠のようなものがあるんでしょうか。
大西 漆椀、櫛の両者に共通している「朱塗り」という技術は、かなり高度なものでして、偶然パッとできるとか、誰でも簡単にできるという手法ではないからです。ただ単に漆の木から樹液を採って塗るというのではなく、朱の顔料を樹液と混ぜて、練って色を作るんです。当時その顔料となったのは、硫化水銀といって、天然の水銀が火山の噴火口の熱で石のように固まったものだったんですが、これはそうあちこちにあるものではありません。まず、硫化水銀を探してきて、それを砕いて、擦り潰して微粉状態にし、漆と混ぜるわけです。
──偶然同じ手法ができ上がるということはまず考えられませんね。中国で確立した技術が、大陸との交流の中で日本に伝来したものと考える方が自然ですね。
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アジアの大地に形成された壮大な「アジア漆文化圏」について書かれた大西氏の著書『漆』(NEC クリエイティブ) |
千葉県印旛村に漆工房『願船』を所有。創作活動を行なっている。 1999年9月1日から3ヶ月間、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴのMingei International Museumで、『Lacquer [Ureshi] - The Living Art of Nagatoshi Onishi(漆・大西長利のリビングアート)』と題し、作品展示会および講演会を開催
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