こだわりアカデミー
お茶の種子は乾燥に弱い。 ですから果実のまま日本に渡ってきたと考えられます。
お茶はどこから来たか?
農学博士 名城大学農学部教授・地方茶研究会会長
橋本 実 氏
はしもと みのる

1932年台湾高雄生れ。56年名城大学農学部農学科卒業。同大学農学部助手を経て教授に。同大学附属図書館長も務めている。農学博士。80年「茶樹の起源に関する形態学的研究」で日本熱帯農学学会賞を受賞。「地方茶研究会」を主宰し、茶の振興・普及を図る。著書に『茶の起源を探る』(88年)『Q&Aやさしい茶の科学』(共著、95年、いずれも淡交社)。
1998年2月号掲載
日本のお茶は"自然な場所"には自生していない
──やはりお茶は中国から来たんですね。
橋本 ええ。でも静岡の茶業試験場の人達は、日本にはもともと茶の木があり、単に利用法を知らなかったんだ、というふうに考えています。心情的には分かるんですが、われわれからするとちょっと考えが違いますね。
以前、われわれ研究グループで日本全国あちこちめぐって、自生しているお茶「山茶」を探しに回ったんですが、そこで一つの考えが成り立ったんです。それは誰かが手を付けた山地、植林とか、そういうところまでは山茶があるんですが、本来の自然な土地、一次林地帯にはないんです。これはおそらく、鎌倉時代になって、お茶には米より高い税金が掛けられるようになったため、みんな隠れて植えるようになったからなんでしょうか。山茶はその名残じゃないかと思います。
──山茶が見られるのは、ある程度人の手が加わった所までなんですね。茶業試験場の人にとっては残念でしょうが。
でもこうして遣唐使が種子を持って帰ってくれたおかげで、日本にもお茶の文化が生れたわけですね。
橋本 それが彼らは種子を持って帰ったんじゃないんですよ。お茶の種子はとても弱くて、1週間も経つと、乾燥してしまって芽が出なくなるんです。
──そんなに弱いんですか。種子ではないとすると苗ですか。
橋本 それなら大丈夫でしょう。でもあの頃、中国から戻ってくるのにどれくらいかかったか。早くとも10日はかかったでしょう。それに船旅に真水は貴重ですから、苗にまでやるわけにもいかない。種子でもなく苗でもないなら残るは果実です。
そこで一つ実験をしたんです。
中国と国交が正常化した時ですからもう25年も前ですが、私の元教え子が20日間ほど中国に行くことになったんです。ちょうどその時期が栄西が中国からお茶の種子を持ってきた、と記録されている時期と合ったんです。そこでお茶の果実を採集し、日本に戻ってそれを植えてみることにしました。
──なるほど。果実のままだったら種子を乾燥させることもないですね。
橋本 そうです。それで19日目広州に着いた時、やっと実が弾けだした。もう翌日は帰国する日だったから、日本に着いたらすぐに植えればいいわけです。そうしたら芽が出たんですよ。
ですから、お茶は果実のまま日本に渡ってきたんだと考えられます。
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