こだわりアカデミー
われわれに役立つ自動翻訳機ができるのは 21世紀の中頃になるでしょうね。
ゲーム少年から人工知能研究者へ
慶應義塾大学環境情報学部助教授
冨田 勝 氏
とみた まさる

1957年、東京生れ。81年、慶應義塾大学工学部数理工学科卒業後、アメリカ・ペンシルバニア州カーネギーメロン大学コンピューター科学部大学院留学。ノーベル賞学者H.サイモンの研究助手として人工知能の研究に従事。83年、修士号、85年、博士号取得。カーネギーメロン大学自動翻訳研究所副所長、同大学コンピューター科学科助教授も兼ねる。トミタLR法という高速構文解析法を考案するなどの功績が評価され、88年、レーガン大統領より米国立科学財団大統領奨励賞を受賞。国際論文誌“Computational Linguistics”“Machine Translation”編集委員も務める。音楽家・冨田勲氏は父親。著書に「ゲーム少年の夢」(1991.講談社)がある。
1994年2月号掲載
インベーダーゲームが人工知能(AI)との出会い
──先生は、人工知能(AI)の研究で博士号まで取っておられますが、その分野に進むきっかけになったのはなんと「インベーダーゲーム」だそうですね。
冨田 はい。インベーダーゲームが私の人生を変えました。
ちょうど大学2年の頃に大流行しまして、もともと小さい頃からゲームは好きでしたので、すっかりその虜になってしまったんです。かなりの時間とお金を注ぎ込みましたね。それが高じて、ゲームの中身、すなわちプログラムに非常に興味を持つようになったんです。これがコンピュータ科学との出会いになりました。
──プレーヤーとしてもかなりの達人で、当時その世界では「名人」と呼ばれていたそうですね。いろいろな技も持っていたとか…。
冨田 ええ。例えば「300点UFO」といって、ボーナスポイントの高いUFOばかりを狙って撃ち落とし、高得点をあげるという技があります。これは、後には一般に広く知れわたり誰でも駆使するようになりましたが、当初は「神技」と呼ばれたんです。しかし、初期のインベーダーゲームの得点の上限が低かったため、そういうことをやっているとすぐに得点が上がりゲームオーバーになってしまう。そこで他にも次々に新たな技を考えだしたんです。例えば、コンピュータプログラムのミスを突いて、画面上に奇妙な現象を起こしたりする「レインボー」とか「インベーダーの化石」と呼ばれた技もありました。
しかし、こうした隠し芸の種も段々知れわたるようになりましたので、最後にはいかにギャラリーを楽しませるかということで、とうとう手を使わずに足でプレーするという大技を開発したんです。
──それは究極ですね。(笑)
冨田 足だけで、普通の人が手を使うのと同じくらいのレベルのプレーができるようになり、私が足技を始めると、野次馬でものすごい人垣ができるくらいでした。
──まさに「名人」の名を欲しいままにしたわけですね。
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